僕には生まれた時から脚の長さに左右差がある「下肢長不等」という障害がありました。今回は僕が海外で下肢長不等の手術を受けるための渡航準備から、再手術に至るまでのお話です。
脚の左右差に悩み始めた三十代手前
こんにちは、しろくまです。僕には生まれた時から脚の長さに左右差がある「下肢長不等」という障害がありました。
幼少期にはさほど気にならなかったこの脚の左右差ですが、三十代手前になって急に違和感が大きくなってきました。悩んだ結果、僕は海外で手術を受けることにしました。
今回は僕が海外で下肢長不等の手術を受けるための渡航準備から、再手術に至るまでのお話です。
渡航日程の決定と準備
海外で「下肢長不等」の手術を行うため、僕は医師と日程の調整を行い、2019年1月末に渡航することが決まりました。
僕が受ける手術は大腿骨を切断した上で、内側に金具を設置するかなり大がかりなもの。その上、手術後のリハビリ期間も含めると滞在期間は三カ月以上とかなり長期期間になりそうです。それらを全て海外で行うのですから、準備や確認するべきことは沢山ありました。
送金問題
前金として、日本円で治療費の1/2を振り込む必要があり、銀行へ向かいます。
しかし…
こういった理由もあって、銀行ではなく郵便局で備考欄に詳細を記載して送る事になりました(郵便局でも同様のことで対処に追われましたが、なんとか送金できました)。
持ち物
私がキャリーケースの中に入れたものは通常の旅行と大差ありません。洋服や下着などやタオル、シャンプーやボディソープなどに加えてコンタクトや眼鏡、ドライヤーやスマートフォンなどです。
他にも海外に長期滞在することを考えて、防犯グッズや辞書、海外用電源プラグ変換アダプター、日本食が恋しくなったときのために、カップ麺やインスタントの味噌汁やお菓子なども入れました。
手術前には現地のスーパー等で購入しておくことが可能だと言われたので、ある程度は現地調達するつもりでいました。
航空券を取る
出発の日にちは確定したのですが、帰国日時は予想がつきません。念のため、ビザの申請が必要になる前の、ちょうど三ヶ月後のチケットを予約しておきました。(結局、脚の経過がよくなかったため、途中でキャンセルしました)。
現金のドルや現地金への換算
主要通貨は日本の空港で両替が可能なので、はじめはドルに換算しました。
一方、現地通貨の換算は日本で扱っている店が非常に少なかったので、渡航途中の経由地や実際に現地についてから換算することに。
空港までの往復交通費や、雑費、両替するためのお金を含め、最小限の日本円もしっかり用意します。海外渡航の際は最低でも一つは持っておいた方がいいので、普段は使用していなかったクレジットカードも引っ張り出してきました。
海外旅行保険保険証の契約
治療以外で、ウイルス等の疾患になった時の為に保険に入ります。期間は念のために選択できる期間内の最長にしておきました。
※当時はまだコロナ等も流行しておらず、PCR検査や書類の用意等の必要はありませんでした。
渡航&手術・賃貸契約の説明
月日はあっという間に過ぎ、ついに、渡航日がやってきました。
渡航
直行便がなかったので、関西空港からドバイを経由しました。数時間のトランジットを経て、東欧へと入ります。
空港の出口で、医師本人と医療関係者の一人が迎えに来てくれました。
そのまま車で都心部まで移動し、スーパーで必要な食事や飲み物・材料等の購入を行います。その後、滞在予定のマンションへと向かいました。
(病院に長期入院していると、費用が倍はかかってしまうからとの理由。)
「手術は3日後。大腿骨から行います」とのこと。骨の真ん中を数センチ切って、内部に金具を設置し延長していくとの説明を受けます。リハビリも行うけれど、本格的なものは膝下を終えた後になるとのこと。
その後は、マンションのオーナーさんがやって来て賃貸契約のやり取りを行いました。
手術前の3日間は観光を行ったり、その他に必要なものはないか(治療を開始すると外に出れなくなるので)書き出して買い物をしたり、束の間の旅行を楽しみました。
手術
手術は、全身麻酔で行われました。
両脚の大腿骨の中央部分を切り取って、腰骨から膝上までにかけての内部に取り付ける金具を設置し、一日数ミリ単位で延長させていくというものです(毎日、医師が様子を見に来てくれたので、その時に延長を行っていました)。
麻酔と貧血による眩暈・嘔吐
目が覚めた時、麻酔の影響や貧血状態だったこともあって寒気が起こり、血行が悪くなって肩こり・頭痛による嘔吐が止まらず、2、3日は病院のベッドから起き上がることができませんでした。
輸血を行い、体調が徐々に良くなってきたことで食欲も戻り、水分を多く摂取してようやく体を起こすことができるようになりました。脚は浮腫んでいて動かせず、踵や尾てい骨が床ずれになったりしたので、タオルやクッションを間に挟んでもらって眠りました。
また、これまで僕は体を横に倒して眠ることが多かったのですが、治療を開始してから寝返りがうてなくなったので(骨や傷口に負荷がかかる&金具が入っていて痛い為)、仰向けに、姿勢よく寝る癖が付きました。
術後の色々
手術が終わって約一週間後に退院し、マンションでの生活が始まります。
大腿骨の一部が無い状態なので、立つことはもちろん、ひとりで車椅子に移ることもできず、ベッドの上で生活をしていました。
家のことを自分でできなくなってしまった僕に代わって、現地ではお手伝いさん(家政婦さん)を雇う必要がありました。身の回りの世話は、いつも家政婦さんがしてくださいました。
排泄の話
少々汚い話にはなってしまうのですが、僕はちりとり式のおまるにするトイレが一番恥ずかしかったです(排泄物を流したり洗ったりするのは家政婦さんだったので)。
ただ、恥ずかしいのは初めだけで、一度してしまうと案外慣れてしまいます。
不安になる精神
幸い、賃貸したマンションのソファーベッド前には大きな壁かけテレビがあったので、起き上がれるようになるまではYouTubeや現地のドラマを見ていました。(その甲斐もあってか、現地の言葉を覚えていったり、語学力向上にもつながりました。)
僕は当時行っていた仕事も持っていきはしましたが、「毎日ベッドでゴロゴロしながらこんなことをしていていいのだろうか…」と、強迫観念に囚われて不安になってくる日もありました。
しかし、家政婦さんに「あなたは介護されている立場なのだから、何も気にしなくて大丈夫よ。休息のための治療だと思って、たまにはゆっくりしてね」と度々励まされていました。
はじめての骨折と再手術 ー 簡易的なリハビリ
最初の手術から、2ヵ月程が経過しました。定期的に医師が僕を病院へ連れて行ってくれて(車椅子への乗り降りは医師が抱えて行っていた)、レントゲンを撮ります。
延長が上手く進んでおり、骨も少しできていることを確認したので、歩行器を使用してのリハビリが始まりました。てっきり、僕はこの歩行器を使ったリハビリも病院で行うものだと思っていましたが、本格的なリハビリ(担当を付けて行うもの)は、骨が完全に出来てからの話だと言われました。
僕は家政婦さんに付き添ってもらいながら、はじめはベッドから立つ、座るを毎日繰り返し、さらに数週間を経過して脚が軽くなってきたと感じ始めたので、医師の確認・許可を得て、歩行器でトイレに行こうと歩み始めます。
生まれて初めての骨折
しかし、何度目かのトイレで悲劇は起こりました。排泄を済ませ、ズボンを上げていつものように立ち上がった時。
ポキリ、と音がしたかと思うと、大腿骨に大きな痛みが走ります。負荷をかけたつもりはなかったのですが、金具だけでは体重を支えきれなかったのかもしれません。僕は自分の脚が折れたのだと瞬時に理解しました。
今まで、大きな骨折をしたことはなかったので当時の痛みはとても鮮明に覚えています。大声で家政婦さんを呼び、「医師に連絡しなければ」と考えながら、支えられつつベッドに戻りました。
しかし、更に悲劇は起こります。
何がいけなかったのか…折れたことで更に骨が脆くなっていたことが影響したのか。
腰を降ろした途端、パキャッという音がしたかと思えば、左の転子部分(腰骨と大腿骨を繋いでいる骨の部分)に、先程の比ではないくらいの激痛が走ったのです。
生まれて初めて、「ぎゃあああ」と、漫画のように絶叫する程の痛みを味わいました。
―こうして、僕は再手術を余儀なくされました。痛みはもちろんの事でしたが、異国の地で担架に乗せられ、救急車で病院へ運ばれる自分がとても情けなく、哀れに思えて、数年ぶりに涙が出ました。
(続きます)