私は全盲の視覚障碍者で、25年間あはき業に従事してきました。今回は、私があはき業に従事していたころのことと、どういった流れであはき業を離れ、現在のIT支援の仕事をするようになったのかについて書いてまいります。
盲学校を卒業してから25年間あはき業に従事していた
私は、平成7年に盲学校の理療課を卒業して、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師(※以下、あはき業と略します)の国家資格を取得し、25年ほどあはき業に従事してきました。
あはき業は視覚障碍者の中では定番の仕事と言ってもよいかもしれません。今でも重度視覚障碍者の6割以上があはき業に従事しています。
私はこの25年間で、サウナ、病院、治療院、自営という流れで働いてまいりました。今回は、私があはき業をしていたときの仕事内容や、どうやって異職種であるIT支援の仕事に転職したのかについて書いていきます。
病院勤務をきっかけにあはき業の楽しさを得た
25年間のあはき業の中で、もっとも長く勤務したのが病院でした。
私は個人が開業した整形外科に就職し、リハビリ室に配属されました。整形外科には、肩こりや腰痛など身体の痛みや怪我、不調を抱えた患者さんが来ます。私は医師である院長の指示の元で、その患者さんにマッサージや鍼治療などを行っていました。
整形外科での施術の時間は15分。「もう少し時間をかければ良くなるのではないか」と思われる患者さんもいましたが、完治しないまでも「歩くときに楽になった」や「肩が楽になって眠れるようになった」などという感想をいただくことが多く、私は徐々にあはき業の楽しさを感じられるようになりました。
病院での勤務をきっかけに、「今後どのような流れであはき業を進めていこうか」と考えるようになりました。
病院を退職を決断したきっかけ
私が病院に勤務していた期間は、1998年から2008年まででした。2007年ごろから、院長からのマッサージ・鍼治療などの指示が徐々に少なくなり、手持無沙汰になる日が多くなりました。
治療器の操作や雑用も大事な仕事なので積極的に行っていましたが、何か寂しい感じがしていました。この頃から、同じ業界の中で転職を考えるようになり、2008年に退職して、治療院に勤め始めました。
視覚障碍者の病院就職が難しくなった
私が病院を退職する少し前から、視覚障碍者のあはき師の病院への就職が難しくなり始めていました。
理由は、「あはき業に対する診療報酬の問題では」と言われています。簡単に言ってしまえば、あはき師がマッサージや鍼治療を行っても、病院に支払われる報酬が少ないのです。
私はこの診療報酬をきっかけに、あはき業界における視覚障碍者の職域が狭くなってきたのではないかと思っています。知り合いの視覚障碍者あはき師に訊いてみても、その流れは変わっていないようです。
流れにまかされて転職していた
私は現在視覚障碍者に対するIT支援の仕事をしていますが、特にあはき業界に大きな不満があったわけではありません。川に流されるように今の仕事に就くことになってしまっているという感覚です。
転職への流れができたのは、2015年のIT支援を始めたことではないかと思っております。地元の視覚障害者福祉団体で行われていたパソコン講座の講師が退任されて、そのあとを受け継ぐことになりました。
当時は、自営であはき業をしながら、月に2回程度、地元の視覚障碍者福祉団体でIT支援を行っておりました。この状態が4年ほど続き、2019年に二つ目のIT支援センターから声をかけていただいてそこで月10日程度勤務することになり、今年度に入って三つ目の施設から声をかけていただき、そこでも月8日程度勤務することになりました。
このような流れの結果、あはき業の方は営んでいない状態です。
なぜ、あはき業に留まらない道を選んだのかはまだ整理ができていない状態ですが、「大好きなIT機器について伝えていくことの方が、あはき業の楽しさを上回ったのではないか」と思っています。
現在でも、あはき業界の発展と視覚障碍者のあはき従事者の活躍を願っています。
現在の視覚障碍者のあはき従事者を取り巻く状況
私の周囲のあはき業に従事している視覚障碍者の話を聞いて私なりに感じたことは、厳しい現状の中でも、どうにか光を見出そうという動きもあるということです。
あはき業の国家資格を持つ視覚障碍者が集まり、クラウドファンディングを利用して資金を集め、運営している治療院も出てきております。
視覚障碍者が伝統あるあはき業を活発に行えるように、私自身も応援していきたいです。
まとめ
現在は複数の施設などで仕事をしておりますが、あはき業をやめて新たに就職訓練を行い、就職活動をして転職したわけではありません。
たまたま、趣味にしていたデジタル機器いじりを仕事に結びつけることができたということなのです。
視覚障碍者のあはき師の国家試験の合格率が下がっている現在、更なる職種の拡大、就職する上でのサポート体制がしっかりと構築されていく必要があります。あはき業だけでなく、視覚障碍者の職域が広がり、職種を選択できるような世の中になることを希望しています。
同時に、視覚障碍者の子供たちが大きくなったときに好きなことをそのまま仕事にできる環境になってくれると嬉しいです。今後、私自身も新しい環境作りに参加したいと考えております。