はじめまして。このたびご縁あってパラちゃんねるカフェでコラム執筆をさせていただくことになりました、フリーライターの百花繚乱と申します!
今でこそこんなに元気で明るいわたしですが、過去には20年近くにわたってPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられ、統合失調症まで患いました。当時の精神障害者手帳の等級は、2級です。
でも現在は寛解しています。ああよかったー!
初回なのでまずはつらすぎた統合失調症を発症した原因と、寛解に至るまでの経緯を書かせていただきたく思います。同じように悩んでいる人のお役に立てたら嬉しいです。
最愛の父の自死によって引き起こされたPTSD
わたしは自死遺児でした。父を自死によって亡くしたとき、まだ未成年だったのです。激しく損傷した遺体も目撃しました。
「わたしは棄てられたの?」と思い、「お父ちゃんを死なせたのは、わたしのせいだ」などと自分を責めまくる日々。優しく快活だった、在りし日の父の笑顔を思い出さない日は一日たりともありません。
父は優しいだけでなく、強い人でした。空手六段の腕前で道場もやっており、わたしは3歳のときから男の子たちに混じって空手を教えこまれていたのです。
うちのお父ちゃんは誰よりも強くてスーパーマンみたい!と本気で信じていました。
そんな父が40代半ばを過ぎ、急に精神疾患に悩まされるようになります。当時、田舎の精神科で告げられた病名は「自律神経失調症」。
ド素人の目から見ても自律神経失調症などではなく、もっと重たい精神疾患だとすぐにわかりました。
暗い部屋で「ワシは鬼や、鬼や、鬼、鬼」と何度も何度も繰り返しながら、何かをノートに書きなぐっていた父の背中を見てしまったときは、心の底から恐ろしかったです。
慌てて精神疾患に関する書籍を読みあさり、すでに20歳になっていた兄だけに告げました。「精神分裂病(現在の統合失調症)という病気だと思う。今のままじゃ危ないから、病院を替えてもらおう」
しかし田舎にそんな数多くの精神科があるはずもなく、父は閉鎖病棟に強制入院させられました。
どうにか一時退院をさせてもらったわずか2日後、兄と母が仕事に出かけた隙に自宅の庭で、灯油をかぶり自分の体に火をつけて死んだのです。
遺書はなく、机の上に「鬼」という文字だけが無数に書かれたノートがぽつんと残されていました。
わたしだけが田舎から逃げた
話が前後しますが、そのころわたしは進学のために田舎を出て、地方都市でひとり暮らしをしていたのです。
葬儀が終わるやいなや、ひとり暮らしのアパートに逃げるように戻りました。田舎では、すぐに噂が広まります。近所の人や同級生たちから後ろ指をさされたり、同情されたりするのだけはどうしても嫌だったのです。
母に後追いをさせないために注意して見ておくよう兄に念押しをして、ひとりだけ逃げたわたし。その身勝手な行動が、そもそも間違っていたのでしょう。
わたしはどんどん無茶苦茶な生活を送るようになり、気づいたときには父と同じ統合失調症になっていたのです。
それがPTSDによる影響からなのか、はたまた遺伝性のものなのかは、明確にはわかりません。ただただものすごく苦しくつらかった、それだけです。
上京したことで、さらに精神状態が悪化する
もちろん会社勤めなどできるはずもなく、卒業後はフリーランスで服飾関係の仕事を始めました。
才能があったのか(笑)仕事はなかなか上手く進み、あるとき浅い関係の知人男性から「東京へ出てきて一緒に仕事をしないか」と誘われます。幼いころから東京に強い憧れがあったわたしは、迷うことなくふたつ返事で上京を決めました。
そこまではよかったのですが、わたしの支離滅裂な言動にあきれたその知人とも、すぐに縁が切れます。
友人も頼れる人もいない、ひとりぼっちでの東京暮らしは過酷でした。仕事をしようにも何も手につかず、気がつけば涙があふれ、被害妄想に明け暮れる日々。
しかし、息をしているだけでも大金が必要になってくるのが、東京での生活です。
行き詰まってどうしようもなくなったわたしは、出会い系サイトを使って体を売り、その日暮らしをするようになりました。それはやってはいけないことだとも判断がつかないくらいの、頭のネジが何本も吹っ飛んでいる末期状態。
ほどなくして近づいてきた悪い男に言いくるめられ、風俗業界で働かされることになります。体を張って稼いだお金は、詐欺師のような男や良くない知人たちにだまし取られて、手もとにはまったく残りませんでした。
……と、ここまで書いて気づきましたが、ものすごく暗い話でしたね。ごめんなさい。
後編ではちゃんと幸せをつかみますので、乞うご期待ですよー!!
わたしはこんな地獄から、どのようにして這い上がっていったのでしょうか?