その生きづらさ、どこから?障害が理由なの?後編

自然の中で車椅子に座って手を広げている豆塚さん

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。振り返ってみると、飛び降りた後よりも、飛び降りる前、健常者の頃のほうが生きづらかった。生きづらさを生み出すものは何か。他者からの認知や認識?他者との比較?自分の生きづらさは、どこからやって来ているのか。

自分で自分を認められるか―今の社会ではなかなかそう簡単ではない。

これが生きづらさの第一の原因であるということは前編で述べた。

そして第二の原因は他者がそれを認めてくれるかどうかにあるだろう。

「生きづらい」こと、「出来ない」ことを、他者に認めてもらえないと、支援を受けることが出来ない。

車椅子に座った女性が竹林の中の道端にいる様子。
その生きづらさ、どこから?障害が理由なの?前編16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。振り返ってみると、飛び降りた後よりも、飛び降りる前、健常者の頃のほうが生きづらかった。生きづらさを感じるのは、自分が思い込んでいる理由ではないのかもしれない。自分の生きづらさは、どこからやって来ているのか。...

社会における自己認識と他者の認識が生きづらさに与える影響

身体障害の場合、出来ることと出来ないことの線引きがわかり易く、支援を受けやすい。しかしそうでない場合はどうか。

いつかNHKハートネットTVで精神障害を抱えた人から「身体障害の人は、他者の目に見えて問題や障害が認めてもらえることを羨む精神障害者がいることをどう思うか」という質問を向けられた。

内部疾患を抱えている人、軽度の知的障害も当てはまるだろう。

これは健常者から身体障害者になった私が実感していることそのものだ。

身体障害者になることによって、私は「普通」から降りることが出来た。他者を頼ることを知り、ケアを受けることが出来た。この体験は大きい。

自己責任という言葉が跋扈しているように、個人が抱える問題は個人で解決をするという風潮があって久しい。

本当なら誰しもが他者を頼り、支えられて当然であるはずだが、「障害名」「病名」がつくことによって初めて公的に人を頼ることが出来、ケアを受ける権利が得られる、といった具合だ。

誰彼にも他人を支えるほどの余裕がない社会だからだろう。

精神障害や内部疾患は、昔に比べればかなり社会に認知されるようになったとはいえ、見た目が健常者と変わらないので、他人にはわかってもらいにくい。

自分では「出来ない」がわかっていても、他者が「出来ない」を認めてくれなかったり理解ができなかったりすれば、あるいは、支援する余裕がなければ、苦しみは取り除けない。人間関係で葛藤が多いことだろう。

(とはいえ、「普通」から降りるということは、そもそも人とは違う異質な自分を自身が引き受けることでもある。どんなに障害を理解してもらえて、支援が得られたとしても、最終的には「わかってもらえない」と思っていたほうがいい。苦しみはその人のものでしかないからだ。ここは繰り返し強調しておきたい)。

自己責任論が追い詰めた高校生の衝動的な行動

夕焼けに照らされた電柱
photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)

自己責任の風潮を煽り、健常者でさえ生きにくくさせているのが競争社会だ。私は高校時代にそれを強く感じた。

私の家庭はシングルマザーで、母の実家は韓国にある。本当に母一人子一人の状態(妹がいるが、当時親権は義父にあった)で、身寄りはない。

日本語が不自由な在日韓国人である母に選べる正規雇用の職はほとんどなく、安い賃金で必死に働いていたが、暮らしは貧しかった。

母はほとんど自宅には帰って来ず、食べ物がないのもざらだった。そんな生活を抜け出すべく、母の期待を背負って進学校に通っていたものの、生活がままならない中、成績は伸び悩み、次第に心と身体を蝕まれていった。

母と義父との折り合いが悪かった小学校の頃から漠然とした希死念慮とリストカットなどの自傷行為、授業中に突然わけもなく涙が出るなどがあったが、当時はまだ心療内科や精神科に通うことが一般的でなく、私のそういった症状は「症状」ではなく「甘え」や「構ってちゃん」の枠の中にあって「恥ずかしいこと」であり、自分自身もそうだと思い込んだ。

人と話している最中に現実感がなくなってぼーっとしてしまい、うまくコミュニケーションが取れない、教科書の文字がなぜか読めない、勉強が全く手につかないなど、なんだか変だな、と思うことはあったものの、友達は自分の勉強で手一杯だし、先生は忙しくしていて気休めしか言わないし、母はいつもイライラしていて相談すると喧嘩にしかならない。

次第に朝起きることができなくなり、それでもなんとか午後には学校に行っていたが、ある日の朝、起きようにも起きられずに横になっていたところを帰ってきた母に叱られ、私は衝動的にアパートのベランダから飛び降りた。

抽象的なイラストに伴う詩が描かれた画像。自立と依存についてのテーマを扱った内容で、「自立できなかった私たち」という問いかけが含まれている。
自立と依存① 自立できなかった私たち。これって自業自得なの?16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。これまでの暮らしから振り返る、自立とは何か、依存とは何か。母と私、二人でなんとか自立して、自分たちの力だけで生きようとしたけれど、できなかった。これは自業自得なのだろうか。...

貧困、親や配偶者との不仲や虐待、精神疾患などは、一見わかりにくい生きづらさだ。

本人も自覚しづらく、他者からも見えにくいので、理解されない。

私は長い間「普通」の家庭に育ったものと思い込んでいたし、自身の状態も「普通」だと思っていた。いや、むしろ、そう思いたかったのかもしれない。

何よりも「普通」であることが競争社会で勝ち上がるための条件だということを、感覚的に理解していた。

「普通」のレールからこぼれ落ちることを死ぬほど恐れ、落ちこぼれるくらいなら死んだほうがマシだと思っていた。常に焦燥感に駆られ、休むことに罪悪感をつのらせた。

義父も母も「努力」や「根性」など、精神論的な言葉を好んで使い、弱音を吐いたり何かを頼ったりすることを嫌った。

思えば、学校教育もそうではなかっただろうか?口では「個性が大事だ」と言うものの、実際には出る杭は打たれ、しかし競争は煽られ、「出来ない」は「努力が足りない」に還元されやすい。

人それぞれに事情があることはあまり考慮されない。私たちは建前上、自由であり平等であるからだ。本当の機会の均等なんてあり得ないのに。

まとめ

自然の中で車椅子に座って手を広げている豆塚さん
photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)

ドロップアウトしてから、私はようやく息ができるようになった気がする。しかし、それはあくまで私個人の場合であって、誰しもにとっていいこととは思えない。

前編に登場したZ君が自らに内在化された差別を克服したように、自らに内在化してしまっている競争心や他者の目線を克服することがなによりの生きづらさからの解放になるのではないか、と考える。

他者の目を自らの中に取り込んでしまえば、四六時中他者から監視されていることになってしまう。これほど苦しいことはない。

他人軸になっている考え方を自分軸にすることで、自分の時間を生きられるのではないか。

生まれる場所や親、障害や病気の有無、社会のありようなど、私たちは自分で選択することは出来ない。そういうものを運命と呼ぶのだろう。それらをどうにか受け入れて生きていくしか方法はない。

しかし、心のありようは意志の力でなんとかなることがある。そしてそれは社会へ影響を与えることが出来る。

自殺未遂をしてわかったことは、仮に私が死んだところで周囲は何も変わらないということだ。

しかし、生きていることによって周りに影響を与えることは出来る。家族との関係は長い時間をかけて少しずつ良いものになってきたと思うし、私と関わることで福祉に興味を持ってくれるようになった人もいる。

苛烈な競争は自身も他人も疲れさせるだけだ。出来ないことはお互い認めて補い合い、手を取り合って生きていく。そういう生き方を実践していく中で、人々が共感し、より多くの人が実践していけば、生きづらさは少しずつ解消されていくのではないだろうか。

まずは生きづらさがどこから来ているのか、知るところからだ。

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ABOUT ME
1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。 ■詩集の購入はこちら