僕は左半身に麻痺がある重度の身体障害者です。今回は、そんな僕の3人の子供たちが重度障害者を親に持つことで、どのように成長して現在暮らしているのかを、親の立場から少しお話させて頂こうと思います。
はじめに
僕は左半身に麻痺がある重度の身体障害者です。
今までハンディキャップを抱えながらの恋愛・結婚・子育てやそれらの中から通じて感じてたことや思ったことを中心にこちらで書かせていただきました。
今回は、そんな僕の3人の子供たちが重度障害者を親に持つことで、どのように成長して現在暮らしているのかを、親の立場から少しお話させて頂こうと思います。
健常者とは同じように育てることができない状況の中で、子供たちがどのように感じながら成長していくのかを少しでも伝えることが出来れば嬉しいです。
重度障害者を親に持つ子供の成長
3人の子供を持つ僕ですが長女と長男は奥さんの連れ子、そして次男は再婚後にできた子供です。
1番年上の長女は僕たちが結婚した当時、すでに中学1年生でした。思春期の真っ只中に突然身体障害者の父親が出来た上に一緒に住むことになった訳です。今考えただけでもかなり難易度が高いように感じます。
実際、彼女との生活は反抗期が相まったこともあり、何度も僕自身の心がポキッと折れそうになったほどです。しかし、彼女とのやりとりや生活は、その後の僕の障害者人生や父親としての考え方をよい方向へと変えてくれました。
今ではなんでもズバズバと言ってくれる彼女とは話しやすい良い関係になっているかもしれません。
そんな彼女も今は社会に出てしっかりと働いています。早い時期から身体障害者である僕を家族として受け入れてきた彼女は、身体障害者の周りのことへの配慮やその察知能力が非常に高いように思います。
そのため、今では家族で出かけるときは「この場所はたぶん危ないから行けないかも」とか「ここは人ごみになりそうだから避けよう」などと率先して僕の身体を気遣ってくれる部分があります。これはまさに身体障害者と生活してきた家族だからこそ出来る気遣いだと思います。
長男も社会人として僕よりも長い時間働いています。今は実家に住んでいますが自立できるように頑張っています。
彼が小学生の時、1番下の子がまだ赤ちゃん、父親は身体障害者という状況だったため、学校行事にも参加できなかったことがありました。
僕の目には、本人もその時期にいろいろと思い悩み考えたことはあったように見えました。諦めなければいけないこともあったでしょう。その影響もあってか、彼は他人が「出来ない」ということについて理解できる多様性のある子に育ったように感じます。
彼は僕がやりたくても出来ないこと、抱っこや大きな荷物を運ぶなどの物理的に無理な事でヤキモキしていることを理解してくれています。力仕事などは僕ができない分、父親役を引き受けてくれてもいます。
次男は年の離れた姉と兄に可愛がられ甘やかされて育ちました。今は小学1年生のやんちゃ坊主です。
甘やかされて少しわがままに育った気はしますが、不思議と抱っこ、おんぶ、肩車など周りの友達がお父さんにしてもらっているようなことを僕にせがんでくることはありません。
それは物分かりが良いという次元の話ではなく、生まれてからこの家族の中で育っていく中で自然と障害を受容してきたからに他ならないと感じます。
人と違うこと、みんなが同じように出来ないことがあるのは当たり前なんだという多様性の考え方がしっかりと心に根付いているように思えます。
最後に奥さんは誰よりも片手でできる作業を見つける名人です。今でも僕が片手でできるようになった作業の大半は彼女からの提案やアイデアがあったから可能になったものでもあるのです。
おわりに
僕たち家族は「障害者だから特別」ということではないと思っています。
ただ、僕たち家族に共通している価値観は 「障害者=何もできない人、かわいそうな人」ではないということです。
そういった考えは家族共通で持っていますし、出来ないことを多様性ととらえています。家族みんなそれぞれに苦手なことはあれど、それぞれにできる仕事や家事が家の中でも回ってきますし、必ず与えられます。
僕たちは家族で僕の持っている難しい障害の部分も受容していかなければ生活がままならなかったため、みんな自分の形で障害を受容したのかもしれません。 その結果が今のこの家族の形なのです。
今回は家族について親ばか目線も入りつつ少し詳しく紹介させていただきました。 たとえ僕のような重度の身体障害者が家族にいても、その障害を受容していけるものなんだということが伝われば嬉しいです。
同じような立場にある人やこの先家族が障害を抱えるといった場面に遭遇する人もいるかもしれません。そういった時の参考や元気付け、やる気の後押しに少しでもなれば嬉しいです。
今回も読んでいただきありがとうございました。