「見えなくても漫画って読めるんですか?」と聞かれたことがある。
そんなの読めるはずがない。幼い頃の全盲の私ならそう答えたはずだ。ところがそれは間違いだった。点字や音声で楽しむという方法があったのだ。
絵を見ることは、確かにできない。それでも視覚を使わずに絵に触れることは可能なのである。どのようにしてそれを実現するのか。そこにはどんな課題があるのか。解説してみる。
かなわない夢だった
漫画本に没頭したことがある、という方は少なくないのではないだろうか。3つ年上の姉も、子どもの頃夢中で読んでいたものだ。
「お姉ちゃんばっかりずるいー!」
当時5歳くらいだった私はしきりに騒ぎ立てた。羨ましかったのだ。
私には、漫画本を楽しむ術がなかった。開いてみたところで、そこにある絵も文字も全く認識できない。何やらとても面白そうなのに、その面白さを体験することは不可能なのである。
どうにかして自分も読みたい。夢中になりたい。時々吹き出したりしながら、「あっという間に読んじゃった」とか言ってみたい。その思いは募るけれど、かなわない夢だった。
仕方がないので、シルバニアファミリーのウサギさんを買い与えてもらった。ウサギさんに、漫画本のことは忘れさせてもらうしかない。寂しかったけれど、それ以外の選択肢はなかった。
点字や音声によって絵も認識できる
その後盲学校に通い始めた私は、衝撃を受けた。かなわない夢なんかじゃない、ということを知ったのだ。
目の見えない私も漫画本を手に取り、思い切り楽しむ。そんな日がやって来たのだ!
それを可能にしてくれたのは、「点字」だった。絵や文字が点字化されていれば、指でちゃんと認識できるのである。
もちろん絵を点字で表すのは簡単ではない。漫画本には絵がたくさん掲載されているので、そこがネックになったりもする。それでも絵がしっかり伝わってくるような点字の漫画本は存在するのだ。
では、どのようにして絵を表現するのか。私の実際に見たもので言えば、二通りの方法があった。
まず、紙に浮き上がらせるというもの。人の顔などの形を、点字の点で描くのだ。
もう1つは、言葉で説明するというもの。特別な記号で囲んだ簡潔な文を挿入し、絵の情報を伝えるのである。
どちらの方法も、私を大いに楽しませてくれた。日常の中で絵に触れるという機会がそれほどなかったこともあり、新鮮な気分で読み進めていった。
紙に浮き上がらせたものの場合は、絵を絵としてリアルに感じ取れる。「なるほど、この人の顔を絵にするとこんなふうになるんだな」などと新たな知識が得られることも嬉しかった。どんな表情をしているのかなど細かいところまで認識するのは難しかったが、十分満足できた。
また、言葉での説明の場合は、悲しそうだとか無表情だとか、細かいところまで確実に伝わってくる。その説明をもとに想像を膨らませると、より深く物語の世界を味わうことができた。
そして何より嬉しかったのは、「私もお姉ちゃんたちのように漫画が読めた」という事実。そのときの気持ちは今でもよく覚えている。
ちなみに大人になってからは、音声化された漫画本にも出会った。耳で読むのだ。この場合も、絵については言葉で説明されている。
絵の説明を耳で受け止めながら想像を膨らませるのはなかなか大変なのだが、点字に比べて「読む作業に疲れない」というのが個人的には嬉しい。また点字を使用しない視覚障害者でも楽しめるというメリットがある。
このようにして、視覚を使わない私たちもさまざまな形で漫画本に触れられるのだ。
「見るからこその面白さ」もあるけれど
ただ、点字化・音声化されていれば漫画のよさが100パーセントわかる、というわけではない。
「実際に絵を見るからこその面白さ」というのもあると思う。個人的な感覚であるが、その辺りはあまり伝わってこないような気がする。浮き上がった点や言葉で絵を情報として受け取ることはできても、それが心を揺さぶるまでには至らない場合があるのだ。
登場人物が面白い動きをしていて、その動きが言葉で詳細に解説されていたとしても、「ふーん」で終わってしまうのである。
また、見ないで絵を理解するのにはある程度時間がかかる。絵が多めになると、テンポのよい作品であっても「テンポのよさ」という魅力は薄れてしまうかもしれない。
視覚情報には、ほかの情報に変換しやすいものとそうでないものが存在する。この点には注意が必要だ。
とはいえ、視覚障害のある人もない人も同じものを楽しめる、一緒に漫画が読めるというのは嬉しいこと。目で見ないで、視覚的なものをより深く味わうにはどうすればよいか。そのために必要なものは何か。探っていきたいものである。