昨年開催された東京パラリンピックをきっかけに、メディアを通じて障害者を目にする機会が増えました。家族でパラリンピックを見ていたときに、子どもから障害について質問をされた方もいたと思います。そこで今回は、私の実体験をもとに障害に対する子どもの疑問との向き合い方についてお話します。
障害に対する疑問が理解に変わる
2021年の大晦日の朝、実家に帰省していた私は、同じく帰省していた5歳の甥から、このような質問をされました。
「ハルちゃんは、なんで車いすに乗っているの?」
それまでは「足が悪いからだよ」と漠然とした回答をしていましたが、そのときは時間があったので、首の神経が傷ついて、手足が麻痺したことを丁寧に説明しました。
甥は詳しく説明してくれたことが嬉しかったらしく、その後は怒涛の質問ラッシュを受けました。
「なんでコレ(導尿カテーテル)を使ってるの?」
「なんで車いすのクッションって空気が入っているの?」
一つ一つの質問に丁寧に回答すると、さらなる「なんで?」がとんできました。
そして障害を負った原因について聞かれたので「アメフトの試合中の事故で首を骨折したからだよ」と答えました。すると、ある程度予想していましたが、甥から「事故の日のことを教えて(ニコッ)」と満面の笑みで聞かれました。
「子どもって羨ましいくらい遠慮がないなぁ」と思いつつ、事故の瞬間の様子、救急車は意外と揺れること、7時間に及ぶ手術の内容などについて順を追って説明しました。
普段、中学生相手に講演をすることもあり、自分の障害や事故の経緯について話すことは慣れていましたが、5歳児にも分かるように説明することは難しかったです。
さて、今回のエピソードは、ここからが本題です。
多くの疑問に答えた翌日、甥の行動に変化がありました。
私が導尿のためにトイレに行こうとすると、甥は部屋から尿瓶を持って来てくれました。
甥は自ら車いすを押してくれるような心優しい子です。でもこのときは、以前と比べサポートの質が明らかに違いました。こちらからお願いしたわけでもないのに、導尿がどのような行為で、どのようなサポートが必要かを自分で考え行動してくれたのです。
他にも私が移乗しやすいように車いすの位置を整えてくれたり、めくり上がった背中の服を下ろしてくれたりと、介護士顔負けの適切なサポートをしてくれました。
以上が年末のエピソードです。
私自身、今回の甥っ子との関わりで気づいたことがあります。それは「障害に対する疑問が理解に変わると、適切なサポートに繋がる」ということです。
私はどこかで「子どもに障害のことを説明しても分からないだろうなぁ」と思っていました。そのため「事故で首の神経が傷ついて手足が動かなくなった」と頸髄損傷について正しい説明をせずに「足が悪いから」と大雑把な説明をしていたのです。
しかし、体の仕組みから丁寧に解説し、なぜ手足が動かなくて車いすで生活をしているのかを説明してあげると、子どもは一生懸命理解しようと話を聞いてくれます。
甥は疑問が理解に変わったことで、私と関わるときにどのようなサポートが必要かを自分で考え、行動してくれるようになりました。
なんであの人は車いすなの?
さて話は変わり、先日ショッピングモールのエレベーター前でこのような親子に会いました。
私の姿を見た5、6歳くらいの女の子が、お母さんに「なんであの人は車いすなの?」と聞いていました。
私は甥とのエピソードを思い出し、「これは障害について理解してもらう良い機会だな」と意気込んでいると、「しー!失礼でしょ!」 と隣にいたお母さんが慌てるように娘さんの言葉を遮りました。そして私に「ごめんなさい」と謝罪の言葉をかけてくれました。
おそらくこのお母さんは、娘さんが失礼なことを言ってしまったという気持ちから、このような対応をされたと思います。
仮にお母さんが「なんで車いすなのかお兄さんに聞いてみようか」と声をかけてくれたら、私は時間が許す限り障害について説明したと思います。
そのため謝罪を受けて誠実な方だなと思う一方で、もったいないなという気持ちもありました。それは、あの女の子が障害を理解するきっかけを逃してしまったからです。
せめて車いすに興味をもったこと、それ自体だけでも褒めてあげてほしいなと感じました。なぜなら、無関心ではないというのはとても素晴らしいことだからです。
まとめ
子どもの「なんで?」にきちんと向き合おうとすると時間もエネルギーも使います。
年末年始という丁寧に説明する時間があったからこそ、私は甥の質問に答えることができました。普段の忙しい中で、同様の対応ができたかというと難しかったかもしれません。
それでも今後は、子どもから障害について質問されたら、時間の許す限り「なんで?」に付き合おうと思います。子どもの疑問に答えることが障害理解への第一歩に繋がると、この年末年始のエピソードで私自身が学べたからです。
この疑問に誠実に向き合うことは、障害をもった大人の役割かなと思います。