はじめまして、しろくまと申します。僕は、両脚に感染性偽関節、精神に性同一性障害とHSPの気質を持った社会人学生です。今回は自己紹介もかねて、現在に至るまでのお話をしたいと思います。
しろくまの自己紹介と現在までの道のり
はじめまして、しろくまと申します。
僕は、両脚に感染性偽関節、精神に性同一性障害とHSPの気質を持った社会人学生です。今回は自己紹介もかねて、現在に至るまでのお話をしたいと思います。
自分のこと
僕は生まれた時から左右で脚の長さが3〜4cm程違う、下肢長不等という状態でした。幼少から学生時代は成長過程だったこともあって、靴に中敷きを入れるなど高さの調整をしながら特に不自由もなく生活していました。
幼い頃から引っ込み思案な性格で、特に女性と話したり、触れてしまったりする機会があると非常に恥ずかしくなってしまいました。
一方で「男の子みたい」と言われることもあり、体を動かすことが好きで、武道、水泳、そして球技と、幅広く運動を行なってきましたが、その中でもバレーボールは、僕に球技の楽しさを教えてくれたスポーツでした。
手術後の合併症と障害・気質について
僕の現在の障害と気質を向き合い始めた順にお話していきます。
①性同一性障害
近年、LGBTQという言葉の認知度が上がってきたこともあって、御存じの方も多いとは思いますが、僕はLGBTQでいうところのT、トランスジェンダー(FtM)に当てはまります。身体は女性だけれど、心は男性です。
性別への違和感や認識をはっきり自覚したのは小学3年生の頃だったのですが、学生時代の僕は周囲との揉めごとや関係崩壊を恐れていたので、「女性として生活しなくては」と心掛けていて、それはズルズルと社会人になっても続きました。
偏った考えになってしまうのですが、芸大卒だったという点において幸か不幸か「中性的な少し変わった子」という認識を家族や友人・職場の人達からされており、マイノリティの部分を深く追究されることもありませんでした。
②HSS型HSP
僕が人に何も打ち明けられなかったのは、この気質も関係してきます。HSPとは所謂「繊細さん」と呼ばれる気質ですが、中にはHSS型という外交的なタイプも存在します。
僕の場合、「こうしよう」と決めたら行動こそ早いのですが、そこまでに至る過程でとても悩んでしまい、なかなかスイッチが入りません。
行動に移すまでに時間がかかってしまうのはカミングアウトに関しても同様でした。伝えたいのに周囲の人達が離れてしまうことを恐れ、自認している性別を伝えることができないといった、大きな矛盾との戦いがありました。
自分の意思を貫くことより恐れや不安の方が勝ってしまい、堂々としていようとは思えなかったのです。
結果、月日は流れてしまい「今更言うのもなあ」と、話を切り出す機会をすっかり見失っていたのです。そんな時、トリガーとなったのが海外での長期治療でした。
2018年、12月。海外で脚の治療をすると決意した時、これまでの抑圧が溢れるように、僕は生まれて初めて、周囲と両親へ自分の本当の性別を打ち明けました。
③感染性偽関節
感染症偽関節とは、感染症によって、骨折(または無い)箇所の骨が再生しない症状のことをいいます。
「下肢長不等」が大人になるにつれて痛みを伴い始めたので、金銭面を考慮し、現地医師ともやり取りを経て考えた末 、僕は海外で手術することを選びました。
しかし、その過程で感染症にかかり、下肢長不等の治療の中断を余儀なくされ、泣く泣く帰国。
帰国後、治療で足の内部に入れていた金具が皮膚を突き破って傷口が塞がらなくなる・膿が出る・炎症で発熱が起きる等の症状に苦しみました。手術した骨はいつまでも再生することはありませんでした。
数ヵ月もすると感染症は下肢全体に広がってしまい、骨と骨の間に空洞が出来てしまったことで歩行が困難になり、車椅子生活となりました。手術や治療にリスクはつきものではありますが、治療の過程で以前よりも脚の状態は悪化してしまったのです。
伝えていきたいこと
前述した通り、僕は学生時代に性別や気質、社会人になって脚の合併症で頭を抱えました。
自分の意思で選択した道とは言え、後悔がなかったと言えば嘘になってしまいます。「あの時こうしておけば」と思う日は尽きません。
ただ、悪いことばかりでもなかったのです。確かに、海外治療へ行く選択をしなければこんな合併症に悩まされることはなかったかもしれない。しかし今、僕がこうして男性としての自分を表に出すこともなかったかもしれない。
少なくとも、「自分の身を守るのは自分。そして自分を一番愛するのも、まずは自分なんだ」と肝が座ったのは、これらの出来事があったからこそでした。
とはいえ、帰国後は脚の症状が悪化したことで治療方法さえ見つからず、一時期は塞ぎこんでしまうこともありました。感染症で両足が浮腫んで腫れ上がり、少し動くだけでも叫んでしまう程の痛みが続いて、不眠症になったことさえありました。
しかし、僕は周囲の環境や友人に助けられました。こうして立ち直ることができたのは、周囲の認知と支えがあったからこそです。
今だからこそ思うのですが、「知ってもらうこと」と「頼ること」。この2つは、本当に大切なことなのだと感じています。
よく、煮詰まった時は自分の経験したことや気持ちを書き出すと良いと聞きます。幸いにも、僕はこうして発信し、皆さまにも「知ってもらう」機会をいただきました。
この場をお借りしてお礼を申し上げるとともに、次は読んでくださる方々にとって少しでも安心できる、「頼れる」場所にしていきたいなと考えています。