こころの不調を抱える人が『人を支える“シゴト”』をすると言うコト④~ボクと双極症

都会の交差点を俯きながら歩く青いシャツの男性、憂鬱そうな表情。

前回まで3回のコラム記事では、理学療法士がどの様なシゴトでどの様な側面や特徴を持っているか、と言う事をお伝えしてきました。

今回からは『双極症と言う精神疾患が理学療法士と言うシゴトにどの様な影響を与えていたのか』についてボクの体験をお伝えしたいと思いますが、まずはボクがどんな経緯で「双極症」と診断され今に至っているか、ザックリとご説明します。

その前に病気の名称について、少し、ご説明します。

今まで日本では「双極性障害」や「双極性気分障害」などの名称が一般的に使用されてきましたが、アメリカ精神医学会が作成している、精神疾患の診断基準・診断分類「DMS-5」というものが更新され「双極症」と言う名称に変更になっており、それに準じていこうと言う流れなのですが、現在の日本ではまだ統一されていない過渡期なのです。ただ今後は、DMS-5に準じていくと言う流れなので、ここでは『双極症』と書かせて頂きます。

1.発症当時

初めてメンタルダウンしたのは30代初めでした。

ある日の朝、起きようとした時に、何とも言えない絶望感と不安感に襲われ「もう終わりだ…すべて終わった…」と理由もわからない考えに囚われてしまい、理由もわからず泣いていました。ハッと我に返った時に「あっ…これがうつ病か…」と思い、当時の上司に連絡し、詳細をお話ししたうえで、「おそらくしばらくお休みをするかもしれない」と言う事をお伝えしました。

当時の職場には、長くうつ病を患っておられる方がいたので、上司も心得ており、心配ないと言ってくださったので、ホッとしたのを覚えています。

そこから3~4日、トイレと食事を摂るためだけに起き上がり、あとはずっと眠っていました(後から分かったのですが、これが『過眠』と言う状態です)。そして食事もバカ食いです(これも後から知ることになったのですが『過食』と言う状態です)。当時は一人暮らしをしていてパートナーや気心しれた深い仲の友達もいなかったたので、誰かを頼ることもできず、なんとか自力で病院を受診し、診断書を書いていただき、1ヶ月分のお薬を処方され、とりあえず1ヶ月間の自宅での療養生活が始まりました。

診断書には「抑うつ状態」と言う診断名だったと思います(うつ病とは書かれていませんでした)。

しかし、ここに至るまでの間、仕事上ストレスフルな状況が続いていたのは確かです。ただ、これに関して付け加えておきたいのですが、「ストレスフルな状況」とは言え、それを軽減させる方法はあったんです。それは「助けを求めること」です。ボクはそれを怠りました。

当時、ボクは「誰かに助けを求める」とか「助言をもらう」とか、そういうことは「恥ずかしいこと」「惨めなこと」と認識していて、「できる限りの最善を尽くすこと」「自分自身でやり切ること」が望ましい姿だと、勝手に決めつけおり、自分から「ストレスフルな状況」を作り上げていたんです。

ちっちゃなプライドが邪魔をして(笑)。

少し脱線しますが、以前『ボクのLiving with HIV~番外編』で登場した、臨床心理士のKさんに、散々言われてきてたんです。

「勝水さんはプライドが高い!」って(笑)。もちろん、こういう指摘をされるまでにはかなり時間が必要でしたし、ボクとKさんとの間には、ちゃんとした信頼関係が結ばれていたので、Kさんもきっと「いい加減、気付きなさい!」と思ったんでしょうね。事あるごとに、言われていました(笑)。

今考えれば、明らかにおかしいことなのですが、服薬し始めて2週間ほどで、気分の状態は、ほぼほぼ健康なときと変わらないくらいになり、診断書の期限である1ヶ月が経った頃には、もう、復職する気持ちで受診しました。

で、そのまま復職したんです(笑)。ボク。しかも、フルタイムで。それも自己判断で(笑)。

今思えば「馬鹿なことをしたなあ」と思うのですが、当時は少し焦りもあったと思います。主治医も止めませんでしたし。そしてもう一つ、馬鹿なことをしました。

復職、直前の診察で、1ヶ月分の処方と1ヶ月後の診察の予約をして病院を後にしたのですが、ボク、自己判断で、通院も服薬もやめたんです(皆さん、こんなこと、真似しちゃ絶対に絶対にダメですからね!)。もう大丈夫だって思って。

案の定、復職して2ヶ月後、再びメンタルダウンしたのは言うまでもありません。

涙を流して悲しみに暮れる男性のクローズアップ写真、感情があふれる表情。

2.それから双極症と診断されるまで

復職後、今度はきちんと、月に1回の通院と毎日の服薬を欠かさず(これが当たり前)、仕事もしながら生活していたのですが、だいたい1ヶ月に1度くらいは、朝から気分が重く抑うつ的になってしまうため、病欠をしていました。

また、1年に1回くらいは、大きくメンタルダウンをし、1ヶ月くらいの休職をする…そんな循環をしていて、ボクと関わってくださっていた方々には、本当に迷惑をかけていたと思います。

それでボクは、その罪悪感に耐えかねて、退職。

または、周囲からの信頼を失い、居心地が悪くなって退職。

こころの不調が改善されないまま、いくつかの職場を渡り歩きました。

そんな事もあり、また、当時の主治医への信頼感も薄れていたため、通院先を変え、主治医も変わり、一度、服薬しているお薬の見直しをすることにしました。

それが40代始めの頃です。

ちなみにそれまでは、抗うつ薬と抗不安薬をベースに、眠前の睡眠導入剤と睡眠薬の組み合わせで服薬していました。

新しい主治医は、抗うつ薬も新しいタイプの抗うつ薬、抗不安薬は頓服へ、眠前の睡眠導入剤も新しいタイプのモノに、そして睡眠薬を睡眠障害に効果もあると言われている新しいタイプの抗うつ薬に変更して処方していただき、様子を見ることにしたのですが…

新しいお薬にして2日目の朝。

もう、味わったことのない焦燥感!落ち着かない、なんてもんじゃないんです!後で知ったのですが、双極症が『躁転(躁状態にスイッチすること)』した時の表現として『不機嫌なハイテンション』と書かれたものを読んでボクは、この表現がぴったりだ!と思いました。

そう、まさに、服薬し始めた薬の影響で、ボクは『躁転』したのです。

明らかに今までとは違う感情?感覚?にボクは「これは非常事態だ!」と思い、急遽、仕事を休んで再受診。ついた診断名が『双極性障害(当時)』でした。そのため、服薬しているお薬も再度変更になり、気分安定薬をベースとした処方となりました。

都会の交差点を俯きながら歩く青いシャツの男性、憂鬱そうな表情。

3.双極症と診断されてから

実は双極症と診断されてから、気付いたことがあるんです。

ボクは「根っからの負けず嫌い」と思っていたのですが、おそらくそれは、双極症の一つの症状だったような気がするんです。

自分が正しいと思ったことを否定されたと強く感じたり、自分が正しいと思っている価値基準から外れた行動をする人を眼の前にしたりすると、猛烈に『怒り』の感情が湧いてきて、その思いを何処かにぶつけずにはいられなかったんです。きっと周囲の人はビックリしていたと思います。

時々、自分でも「二重人格だろうか?」と思うほどの変貌ぶりで、双極症と診断される前は、一時期、本気で悩んだ事もありました。

ただ、自分自身が双極症であると分かってからは「あ、これは病気がそうさせている部分もあるな」と感じるようになり、受診時、主治医に相談したり、心理カウンセリングを受けてアンガーマネジメントや認知行動療法に取り組んだりと、自分なりに自分でできることをやってきました。

けれど、こころのどこかで「もっと早く双極症と診断されていれば…」と言う思いは否めませんでした。初めてのメンタルダウンから双極症と診断されるまで、約10年かかっています。うつ病と双極症では服薬するお薬は随分と違っていますから。しかし、これはよくある話。特に双極症Ⅱ型においては。

最終的に、残念ながら『理学療法士』と言う仕事は辞めたほうが良い、と言う自分なりの結論に達し今に至るのですが、その理由やそこに行き着くまでの過程については、次回から『双極症』と言う疾患の特性と併せてお伝えしたいと思っています。

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ABOUT ME
1975年岐阜県生まれ。長く理学療法士として医療機関に勤務。働きながら社会福祉士免許取得後、大学院修士課程を修了。リハビリテーション療法学修士。その後、産業カウンセラーの資格を取得。現在はフリーの心理カウンセラーとして活動中。セクシャルマイノリティ(ゲイ)であり身体障害者(免疫機能障害)であり精神障害者(双極性障害)である。