自分には何も価値がない、人の役に立っていないから。そうやって自分を追い詰めている人は多いと思います。でも本当にそうでしょうか。
今回は実際に私が体験した、人は自覚のないところで役割を果たしているというエピソードをご紹介します。
居場所がない。そう思ったことありませんか?
発達障害やうつ病、その他の精神疾患。
それらは自己肯定感を下げてしまう可能性がある重大な病気です。精神疾患を持ってしまうと自分が人の役に立っていないと感じ、居場所がなくなってしまったのではないかと思い始めます。
しかしそうではありません。
私は、人は自覚のないところで人を救っていると思います。
母の叔母が繋いでくれた縁
例えば私の母の話です。あるとき、母から見て叔母にあたる人が認知症になってしまいました。
岡山県に住んでいる人で、身内は母と母のお姉さんしかおらず、しかもその二人は香川県に住んでいるという状態でした。
母の叔母は一時的に母のお姉さんの家に住むことになったのですが、一緒に住むとなると認知症のため公的な手続きは母のお姉さんがすべて代行することになります。
母のお姉さんも初めてのことで四苦八苦しながら頑張っていましたが、やはり大変なようでよく母に相談しにきていました。
母は「大変なことだけど、おばちゃんがこうしてくれているおかげで姉と話す機会が増えたのよね。人はどんなことで人を救っているかわからないものね。」と言いました。
自分の存在が誰かの力になるかもしれない
みなさんはバタフライエフェクトという言葉を知っていますか?
小さな出来事が予想だにしない大きな出来事に繋がっていくことを言います。蝶の羽の些細な羽ばたきが、大きな気象現象を起こしていることから名付けられました。
私たちの行動や存在は本当に小さくて儚いものかもしれません。しかしその行動や言葉は必ず誰かの糧になっています
病気になってしまった経験のある人ならわかるはずです。
誰の役にも立っていない。むしろ足手まといなのではないか。そうやって自分を追い詰める気持ちがふくらんでくることもあります。
しかし母が言ったように、どこでどんな風に物事が関係しているのかは簡単に予想がつきません。
自分は無力だと思っている人も、自分が予想だにしない場所で誰かを救っていたりするものです。
私たちは無力ではない
逆に誰かのふとした言葉で元気になった経験はありませんか?
私は気分が落ちて泣きそうなときにコンビニの店員さんが明るく挨拶してくれた日があり、一気に力が湧きました。そうやってあなたもどこかで誰かを元気づけているのかもしれません。
私も存在するだけで誰かを元気づけていたらいいなと思います。