複雑性PTSD当事者がカウンセリングで学んだ「相手の問題の捉え方」――すべてを“私が解決すべき問題”だと思わなくていい

大人の手と赤ちゃんの手が重なり合って触れ合っているシーン。

持続的な虐待やDVなどのトラウマ体験をきっかけとして発症すると言われている、複雑性PTSD。この精神疾患と生きてきた私はこれまでずっと、人との間に上手く境界線が引けず、家族や友人の悩みを聞くたび、心が疲弊した。

だが、1年半ほどカウンセリングを受ける中で、ようやく「自分の問題」と「他人の問題」を分けて考えることができるようになり、“自分の人生”が戻ってきた。

他人の問題を「自分事」として捉えてしまう

女性が大きなコーヒーマグカップを両手で持っている場面。

他人の感情が心に流れ込んできて苦しい。家族や友人から悩み相談をされると、いつもそう感じた。楽しい気分の時でも、身近な人が悩んでいたり怒っていたりすると、自分だけ違う気持ちでいてはいけないような気もした。

だから、必死に頭を働かせて相手の心が軽くなる解決策を提案。周囲は「ありがとう。優しいね」と喜んでくれたが、私は虚しかった。自分のためではなく、誰かを救うために生きている感覚が消えなくて。

「あの人の問題は私には関係ない」。そうやって必死に思考を切り離して自分のことだけを考えようとしても、気づけば「あの人、大丈夫かな」という意識になってしまう。自分の心身を気遣う術は分からないのに、他人の痛みにだけ敏感だった。

なぜ、そんな他人ファーストな思考が脳と心に定着してしまったのか。それに気づくきっかけをくれたのが、メンタルクリニックで行っていたインナーチャイルドワークだ。

インナーチャイルドワークとは、「傷ついたあの頃の私(=インナーチャイルド)」を癒す心理療法。「少し怪しい」と思いながら半信半疑で行っていたこのワークで、私はこれまでとは違った視点で「自分の過去」を振り返ることができ、思考が変わった。

「他人の問題」を割り切れない原因は幼少期の家庭環境に

大人の手と赤ちゃんの手が重なり合って触れ合っているシーン。

死ねない勇気がなかったから、生きてきただけの欠陥品。インナーチャイルドワークを受けるまではその気持ちが強く、自分が存在していることすら許せなかった。

けれど、インナーチャイルドワークを通して、カウンセラーに過去の自分が受けた痛みを泣きながら話し、全肯定してもらう中で自責思考は薄れていき、「どうにか生き延びてここまでこられたんだ」と自分を少し誇らしく思えるようになった。

そして、私はインナーチャイルドワークを何回も繰り返す中で気づく。他人の悩みに敏感なのは、そういう自分でいなければ生き延びてこられなかったからだということに。

幼少期の私は、親のカウンセラーみたいだった。家族の愚痴を聞かされるという心理的虐待を受け、親をなだめるという心理的ヤングケアラーでもあった。子どもの私はいつも、気分で家族を怒鳴り散らす父親から母親を守ろうと必死だった。

母親が父親の愚痴を溢した時は、子どもながらに必死で解決法を考え、提案するのが小さな私の日常。上手く解決すれば、子どもの私は平穏な時間が過ごせ、大好きな母親も笑ってくれた。

そうやって、「自分の問題」と「他人の問題」の境界線が曖昧なまま生きてきたため、私は他人の悩みを聞くと、「解決してあげないといけない」という思いに駆られたり、感情が心に流れ込んでくる感覚がしていたのだ。

加えて、私の家では家族全員が父親の行動を見て、「いま何をすべきか」と考えていた。いかに父親の気分を損ねないように生きるかが、子どもの私にとっては全て。いつも、そこに全力を注ぎ、「自分がしたいこと」は無視した。

お父さんは今からトイレ掃除をするだろうから、早くトイレから出よう。早くお風呂に入りたそうだから、長風呂はしない。そういう、自分を尊重しない小さな選択がいくつも積み重なって、自分を労わることを忘れた。

自分の感情より家族の気持ちを優先していると、両親が楽しそうでない時は自分も同じ気分でいないといけない気がした。自分だけ幸せなのはダメ。きっと、あの頃の私はそう思ったのだろう。

カウンセリングを通して、無意識化に刷り込まれたその我慢に気づいた時、涙が溢れた。ああ、私はどんな気持ちを抱いてもよかったし、全部大事な感情だったと、頑張ってきた過去の自分を抱きしめたくもなった。

「問題分別車」をイメージして悩み事を分別した

黄色の玩具のダンプトラックが屋外で撮影されている様子。

とはいえ、自分の感情を優先することに慣れていなかったため、「何を思ってもいい」と自身に許可することは、とても難しかった。楽しい気持ちでいても、親やパートナーから悩み事を相談されると、気持ちがそちらに引っ張られてしまう。

そんな思考を変えようと、頭の中に生み出したのが「問題事分別車」。何かを相談されたら、ゴミ収集車のようなトラックを思い浮かべ、「これは私が真剣に考えるべき問題?」と一旦、自問自答する。

そこで、「相手の問題」だと判断した場合は、脳内に描いた「問題事分別車」に相手の悩みを乗せて、どこかへ行ってもらう。さようならと手を振って問題分別車を見送る自分を想像すると、気持ちを切り替えることができた。

そんな分別を繰り返していくと、次第に「問題分別車」を思い浮かべなくても「これは相手が考えるべき問題だな」と判断できるように。相手の感情が心に流れ込んでくると感じることもなくなり、他人と自分の間に境界線を引けたような感覚になれた。

もしかしたら、周囲からすれば「素っ気なくなった」と思われる変化かもしれない。でも、自分にとっては、他人に振り回されなくなった“今の私”でいることが心地いい。他人ファーストな思考から抜け出せない方に、この体験談が少しでも役立てば嬉しい。

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ABOUT ME
猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。