どうも。琳堂ヤコです。記念すべき三回目の寄稿になります。
ちなみに全て記念していくのでよろしくお願いいたします。Everyday anniversary、あ、自己紹介を兼ねた最初のコラムはこちらからどうぞ。
※この記事は、2023年7月に公開されたものを再編集しています。
「居場所」とは何か?物理的居場所と精神的居場所の違い
今回はね、「居場所」ってなんだろうということについて書いていこうと思います。いろんなところにありえますね、「居場所」。字のごとく、「居る」「場所」です。様々な障害を持って生きていくとき、孤独感を感じることが少なからずあると思います。もちろん障害を持っていなかったとしても、ふと孤独感を感じるタイプの人もいますね。さて、そのなかでも精神障害を持っている人達のSNSでの発信では「私に居場所なんてないんだ」という言葉も散見されますし、いま実際にそういった思い・感覚に胸や頭を占められている方も読者の方の中にはいらっしゃるかと思いますから、身近なワードなのではないでしょうか。また、仕事をする場でもある「職場」もひとつの居場所ですから、パラちゃんねるカフェで記事をご覧になっている方々にも、「就職活動=居場所探し」のように考えれば更に身近なワードになるのではないでしょうか。言わずもがな、物理的には、簡単です。立っていようが座っていようが、そこに体を置く「空間」があるから立っている、座っていることができる。あたりまえ体操。ということで、もちろん物理的な話をするつもりはなく、本題は「精神的居場所」について、物理的居場所と比較しながら自分の経験交えて、書いていこうと思います。

物理的な居場所があっても「居場所がない」と感じる理由
「居場所がある」と「居場所がない」。
ちょこっと気軽に考えてみましょう。自分が所属しているところや身を置いている物理的なスペースなど、あなたの持ちうる様々な「居場所」を分類したとき、いま持っているものと、持っていないものとに分かれると思います。
まずは物理的なものから挙げていってみましょう。
例えば、いま企業就職を考えていて就労訓練を受けるでもなく自ら就職活動中の方でしたら、「職場」という居場所はまだ持っていませんね。
一人暮らしを目指している方でまだ叶えていない状態の方にとっては、「一人暮らしの家」という居場所はまだ持っていませんね。
一方、「職場」や「学校」に所属しているという意味では居場所を持ち、「一人暮らしの家」もしくは「自分だけの部屋」という居場所を持ちつつも、「自分には居場所がない」と感じることがある。そういう経験のある人は少なくないはずです。
公私どちらともに物理的居場所があるはずなのに、なぜ「居場所がない」と感じるのか。
答えは簡単ですね、人間にとって「居場所」とは、就労先や学校などの単なる所属先や住居にとどまらない「精神的空間」の意味を多くに含んだ言葉だからですね。言わずもがな。
これに関して、面白いなあと思ったお話があります。

「人間」の語源から考える、精神的居場所の重要性
ご存じの方も少なくないとは思いますが、「人間」という言葉の語源は仏教用語にあります(諸説あり)。そこでの「人間」の意味は、「世の中」という意味です。
「人間」=「世の中」、「人」=「個人」というイメージですね。
私が多くを語らなくとも、ここで私がこれからお伝えしたいことがお分かりいただけたかと思います。
ここからは私自身の持論です。少し小難しくなりますが最後に要約するので、「ほえ~」と思いながら流し読みで結構です(笑)。
さて我々人間はまず「ヒト」として生まれ、教育や経験を経て「人間」になっていきます。
動物的本能的なものに支配されるだけだったところから、葛藤しつつ感化されつつ独自の価値観の形成を続けながら変化させながら、それを基に自らを律しようとする。
いわゆる「自律」をもって、一個の「人間」を限りなく目指す。たとえそれが小さなものであれ、達成ができないであれ、追い求める欲求がどこかにある。それは職業スキルというよりも、「生き様」という形で。
ここで欠かせないのが精神的居場所である「他者」であると私は思うんですね。
居場所って、自分を多少なりとも受け入れてくれる他者との間にあって、そのなかで経験を積んでいったり、安心感を得たりするわけです。
「精神的居場所」を人との間に何を媒介にしてもいいから持たなければ、孤独がいつの間にやら毒となる。
適度な孤独という自分だけの空間と、適切な環境としての「他者との間にある精神的居場所」が人間の精神を安定させる特に重要な要素であると思うのです。
もちろんそれは、SNSでも親族でもサークルでも学生時代の友人でも、喫煙所でたまたま隣り合った人でも行きつけの喫茶店のマスターでもいいのです。お互いの心の中に、お互いの居場所があることは、己が望む理想的「人間」への成長の糧になっていく。もちろん相手を選ばなくてはなりませんが。

居場所を増やすことの大切さとその作り方
できれば多くの居場所を作る。できれば多くの人との間をもっておく。
まずは「とりあえずの所属場所・グループ」を作るところからでもいいのです。SNSなんかでもできますね。そしてそこからできた「精神的居場所」に支えられながら、実生活で直面せざるを得ない現実をゆっくり飲み込む余裕を作っておく。サシ(二人きり)でも仲良くできる人が多く持てると強いですよ~!
反論を恐れずハッキリ主張させてもらえば、あなたの居場所は人と人との間にあります。
例えば書き手である私と読み手であるあなたも、直接のやり取りで伝え合ってはいないけれどあなたの頭の中で対話が成り立っている。感想ってやつですね。
私は読者であるあなたのために書いていますから、このコラムもあなたの居場所の一つとなり得たら「書き手冥利に尽きる」です。
人と気さくなやり取りとかそんなの難しいよおー!という方は、私のこのコラム記事URLをTwitterに載せてツイートしていただければ私がエゴサでもれなくご挨拶に参りますのでぜひ練習台にでもしてください(笑)。
ところで、難易度が高いであろう「他者との距離感」についてはまたいずれ書こうと思います。お楽しみに。
(人間の意味合いについては和辻哲郎先生の『倫理学』(全四巻)がおすめです)
