前編ではとんでもなく暗い過去のお話をしてしまった、フリーライターの百花繚乱です!
さてさて、統合失調症によって正常な判断能力をなくし、悪い男たちに騙された末に風俗嬢として無理やり働かされていたわたしに、果たして救いはあるのでしょうか?
夫との出会いは、いいかげんに始めた婚活アプリ
そのころ親しくしていた風俗嬢の同僚が熱心にやっていたのが、婚活アプリ。今でいうマッチングアプリですね。
出会い系サイトで男性と会うことに慣れていたわたしは、興味本位で婚活アプリを始めてみました。もちろん、結婚願望などは皆無。
最低限の生活費以外はすべて詐欺師のような男や悪い知人に巻き上げられていたので、ご飯をおごってもらえる男性を探そうと思ったのです(オイ)。毎日のように違う男性と出会い、何十人と会ったのか、もはや定かではありません。
そうしているうちに、何度も会っては、毎回美味しいご飯をご馳走してくれる男性たちも何人かキープできました。ひとまずは食費が助かります。
そのうちのひとりが、現在の夫となる男性だったのです。
いきなり土下座をされてのプロポーズ
わたしは夫となる男性のことを、何とも思っていませんでした。ただの、ご飯を食べさせてくれる「食事係」のひとりという認識だったのです。
最低といえば最低ですが、そもそも重い精神疾患があるのに、恋愛などする気も起きません。
そのころのわたしは統合失調症が極限まで悪化しているときで、記憶障害とメニエール病のような症状まで併発していました。さっきまで話していた内容を数分後には忘れているし、目はうつろでろれつも回らず、目まいがひどかったため真っすぐに歩くことさえも困難な状態だったのです。
そんなひどい状態のときに出会ったわたしに、なんと一目惚れをした奇特な男性が、夫。
風俗嬢をしていることはもちろん、精神障害者であることも打ち明けてはいませんでしたが、毎回ぼんやり顔でふらつきながら待ち合わせ場所に現れることについては「自分と会うときに緊張するから、お酒を飲んできているんだな」と思っていたと、あとになってから聞きました。
OH!スーパーポジティブシンキングだね!!
そうして何度か食事を重ね、出会ってからひと月ほど経ったころ「本当に好きになりました。僕と結婚してください」と、急にプロポーズをされたのです。しかも、その場でガバッと土下座までされて…。
付き合ってもいないのにと度肝を抜かれましたが、傷つけないよう丁重にお断りしました。今から思えば、「お前、断ってる場合か!」と自分自身に突っ込みたくなるほどです。
押し切られてスピード婚をしてみたら、幸せしかなかった
断ったあともご飯は食べたいので会ってはいたのですが、会うたびに繰り返しプロポーズをされます。
「絶対に苦労はさせません。お父さんとお兄さんの代わりに、百花さんを一生守っていきます!」
決め手になったセリフは、これでしょうか?こんな地獄から救い出してもらえるのではないかと、かすかな希望の光が見えた気がしたのです。
わたしは、父を亡くしたのは自死であったこと、自分も長年精神障害を抱えていること、大量の強い薬を飲み続けているため子どもは望めないことを一気に告白しました。
夫がとても子ども好きなことを知っていたからです。しかし夫は戸惑いの表情をみじんも見せず、即答してくれました。
「子どもはいりません。百花さんがいてくれれば、それだけで幸せです。絶対に幸せにします」
そこまで言うのならと、腹をくくりました。たまたまわたしの両親の結婚記念日がもうすぐだったので、その日がいいと伝えて婚姻届を提出したのです。
よくよく考えると縁起が悪いですね〜。しかもその日は仏滅で、区役所ガラガラ(笑)
そんなおかしなスピード婚でしたが、夫は本当にわたしを大切にしてくれました。結婚して長い年月が経ちましたが苦労をさせられた覚えはなく、ケンカになったこともありません。経済的にも精神的にも、安定できました。
いわゆる交際ゼロ日婚だったので、週末にはいろいろな場所へ恋人同士のようにデートをしに連れ出してくれる、アクティブな夫。引きこもりがちの自分とは大違いですが、そのうち週末がくるのが楽しみになりました。
スーパーポジティブな夫に影響されてぐんぐん元気になり、統合失調症の症状が軽くなってくるのを感じ、徐々に減薬することにも成功。そして結婚して数年経ったころ、ついに精神障害者手帳を返納できました!
寛解した現在は、再発防止のために最低限の服薬と数ヶ月に一度通院するだけです。
母に喜んでもらえたのが何よりも嬉しかった
結婚したばかりのある夜中、ふと目が覚めて隣で眠っている夫の寝顔を見ていたら、若いころの父に似ていることに気がついたのです。
何気なくスマホで写真を撮り、翌朝になって母にLINEで送るとすぐに電話がかかってきました。不思議そうな声で、「なんでお父さんの寝顔の写真を持ってるの?」と。母の目から見ても、そっくりだったようです。
「お父ちゃんが無茶苦茶な生活をしているわたしを心配して、助けるために出会わせてくれた神様が夫なのかも」そう思いました。父はわたしを棄てたんじゃなかった、やっぱりスーパーマンだったんだ!
母は夫の写真を神棚にあげて、毎日拝んでいるそうです(笑)仏壇じゃないからいいですけれど。
父に一番不幸な形で先立たれ、たいへんな苦労をしながら生きてきた母を喜ばせて親孝行ができたことも、夫に感謝しなければなりませんね。
これが、わたしが長年苦しめられた統合失調症を寛解させるまでの経緯です。読んでくださってありがとうございました。
誰にでも当てはまることではないかもしれませんが、一例としてどなたかの参考になれば嬉しく思います。