当事者として語るということ。パラちゃんねるカフェで1年間書き続けて感じたこと。

寒い時期に撮られた車椅子姿の豆塚さんとピンクの花のイメージ

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。パラちゃんねるカフェでコラムを書き始めて1年。あっという間に書くネタに事欠くだろうと思いきや、掘れば掘るほど出てくる。そして、書けば書くほど、誰かのために書いているつもりが、書く中で自己理解と自己受容が深まっていき、周囲との関係性が変わっていくこと。この1年の心模様をまとめた。

パラちゃんねるカフェでコラムを書き始めて早1年

パラちゃんねるカフェでコラムを書き始めて1年になる。月にだいたい2〜3本のペースで障害当事者として障害者の「働く」をテーマに書いてきた。

静かな通りに佇む白い猫。生産性のない障害者として社会に必要とされないという感情を象徴する風景。
生産性のない障害者の私が、この社会に求められることなんてなかった16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らしている私が振り返る、働くってなに?障害者差別ってなに?生きることの価値ってなに?...

▲パラちゃんねるカフェでの1本目の原稿

障害者になって12年経つが、実は障害当事者として自身の障害について文字にできるようになったのはここ2年くらいだ。

子供の頃から文章を書くのが好きで、高校時代は文芸部に所属し、詩や小説や短歌などを書き綴ってきた。障害を負ってからも書いた作品を新人賞に応募していた。

けれども私は当事者として文章を書くことをずっと避けていた。何をやっても「車いすの人」としてまず認識され、判断されることが嫌だった。

障害者である前に、私はただの私だ。

確かに、障害によって得た経験(あるいは、得ることの出来なかった経験)によって今の私は形作られているのだけれど、障害はアイデンティティではなく属性だ。だからこそ「障害は個性だ」という言葉が嫌でしょうがない。

障害者としてメディアに出る葛藤を抱いていた過去の自分

オレンジを食べるメジロ
photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)

障害当事者としてメディアに出るようになってからもずっと葛藤がある。

私は私でしかなく、障害者の代表ではないし、障害者として語ることで、障害者というカテゴリーを強化していくのではないか、自ら自分を障害者だと差別しているのではないか、という危うさを感じる。

語れば語るほど、こぼれ落ちていくものがあり、なにか違うような気もしてくる。それに、できることなら私だってマジョリティ、特権を持つ側でありたい。どうしてわざわざ自分からマイノリティなのだと言い出さなければならないのか。

などと捻くれていたのであるが、ある時点で諦めがついた。

結局、何をどうしたところで私は「車いすの若い女性・豆塚さん」なのである。ならばせめて他人から定義されるのではなく、自分自身で自分を定義したい。自分で自分の物語を語りたい。それが私の「当事者性」だった。

自然公園の真ん中にいる豆塚さん
「出来ない」からこそ、社会とのつながりが生まれる。そこに頼る世の中じゃダメですか?16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。ここ最近の『おおいた障がい者芸術文化支援センター企画展 vol.3企画展「生きるチカラ」』への出展、「JR駅無人化反対訴訟」の第4回口頭弁論の傍聴という2つのイベントから感じた、「出来ない」からこそ生まれる「人と人とのつながり」とは?...

自分語りなんてあっという間に書くネタに事欠くだろうと思いきや、掘れば掘るほど出てくるものだ。興味深いのは、誰かのために書いているつもりが、書く中で自己理解と自己受容が深まっていく。

そして不思議なのだが、段々と身の回りの社会、人間関係まで変わってくる。変えようと意識して変わったのではなく、語れば語るほどに自然と変わっていき、何というか、ずいぶんと生きやすくなったように感じる。

思えば、障害者であることの負い目から、多くのことを遠慮したり気遣ったりして、自分の意志や主張をはっきりと言わず、かといって自分の努力でできることにも限度があり、人任せ、成り行き任せにしてきたのかもしれない。

まとめ

寒い時期に撮られた車椅子姿の豆塚さんとピンクの花のイメージ
photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)

書く作業の中でぼやけていた自分自身の欲求の解像度を上げ、存在が鮮明になってきた。

ニーズがはっきりすれば、どうすればいいか、何を他者や社会に求めればいいか、手段がわかってくる。

そんな私をわがままだと言って離れていく人もいたが、その逆で親しくなれた人もいて、結果としては困ったときに頼れる仲間が増えた。小さな社会変革と言ってもいいだろう。

自身をマジョリティ(普通)だと思っている間は、自己完結の世界にしかいないのではないか。自身の努力(あるいは運)によって困難を克服するストーリーしかなく、社会は変えられるものではない。社会規範の中にある「幸せ」をなぞるしかないから、苦しい。

当事者であることを認め、語ることによって、ようやく自分だけの物語、自分なりの幸せの探求が始まるのではないか、などと考えた。

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ABOUT ME
1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。 ■詩集の購入はこちら