働く姿は祈る姿に似ている。私は誰にも求められなくても、誰かのために祈りたい。

道端にいる猫のモノクロ写真

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。好きにやる。書いて食べて生きていく。創作活動を始めてふと思い出した、母の料理をする手元を見るのが好きだったこと。少しかがんで、自分の手元に集中する姿。働く姿は、祈りの姿に似ている。

文筆で食べていきたかったあの頃

好きにやる。書いて食べて生きていく。

よく通っていた喫茶店「Tea Room Cozy Corner」のマスターに、文筆で食べていきたい、できるだろうか、と相談した。「とにかく書け」と彼は言ってくれた。

豆塚さんの詩集「AM05:30」
それは社会が許さない。社会じゃない。あなたが許さないのでしょう?16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。障害を負ったことで生きづらさから解放された私が振り返る、詩集を書き始めたきっかけと、心情の移り変わり。22歳で初めてのひとり暮らしを始めた頃の想い。好きにやる。書いて食べて生きていく。なんの見通しもなく、そう決めた。...

日銭を稼ぐために、地元の個人商店や飲食店などの名刺やチラシ、ポスターのデザインを請け負うようにした。すると、少しずつではあったが、口コミで仕事が舞い込むようになった。

小さな喫茶店の片隅が私の居場所になった。そこで仕事の打ち合わせをしたり、たまにお客さんと話したり、黙々と作業をしたりした。

人との出会いで多くのことを気付かされる

人との出会いの中で気付かされることは多い。同じように、自分も他者に影響を与えることができるのだ、ということもわかってきた。

私の住む町には、もうすっかり寂れてはいるが、昔賑わった商店街や飲み屋街があり、入っているお店の殆どが個人のお店だ。そしてその多くはお互いのことを知り、お互いに支え合いながら暮らしているように見える。

その緩やかなコミュニティの中に自分も仲間として迎えてもらえたような気分だった。私は買い物や外食をなるべく個人のお店で済ますようにした。スーパーやチェーン店でお金を使ったほうが安いが、それよりも、彼らが喜んでくれることが嬉しい。

私はただ必要にかられてお金を使っているだけなのに、感謝してもらえるなんて、こんなにお得なことがあるだろうか。

仕事とお金の関係

ヤシの木が生えている通り

仕事に対してお金をやり取りするということは、お互いを信頼して感謝し合うことだと知った。

「詩じゃマーケットが小さくてなかなか売れづらいようだから、小説を書いてみたらどうか」と勧められ、わけも分からずがむしゃらに書いて、目先の締め切りだった賞にとりあえず出してみた。

すると、なんと最終選考まで残してもらえた。残念ながら受賞には至らなかったが、初めて大手出版社から原稿料を受け取った。それはかなりの自信になった。

今まで同居人に気を遣って行けなかった文学系の同人誌即売会にも参加してみた。東京、大阪、福岡と、田舎暮らしの私には遠征するだけでも莫大な費用がかかったが、それでも誰かに読んで欲しかったし、同じように創作活動をしている人たちに会ってみたかった。

初めての東京文学フリマでは、どうしたことか、あれよあれよと本が売れ、6時間で70冊以上が捌けた。

見本誌コーナーで立ち読みをして、とか、装丁に惹かれて、など、全く知らない人がそこそこ高い値段にも関わらず何冊も買っていってくれる。地元での反応とのあまりのギャップにただ驚いていた。

3年かけて1000冊ほど売れたが、自分が一から作ったものを自分で売る、そしてそれが売れるということほど、嬉しいことはないし、自信を与えてくれることはない。

手売りをやっていて何よりも嬉しかったのが、ファンレターを手渡しで貰ったこと。

「眠るのがあまり得意ではないのだけど、豆塚さんの詩を読んで少し楽になれた」とあった。子供の頃、本の世界に救われていたように、私の言葉で救われる人がいる。とても光栄なことだ。

また、ネットを使って無料で作品を公開することを極力辞めた。すると、作品に対して的の外れた誹謗中傷をされることはなくなり、むしろきちんと読んだ上で評価されることが増えた。お金をもらっている上に読んでもらっている。ただただ、頭が下がる思いだ。

なんの売れる保証もない中で作品を作ることは、正直つらい。

カツカツな生活の中で、もしかして今やっていることは全くの無駄なのではないのか、という思いに囚われることもある。それでも書いたり作ったりするのは、働くことがお金を稼ぐためだけにやることではないことがわかったからだ。

働くということについて

道端にいる猫のモノクロ写真

働くとは、誰かの役に立とうとすること、誰かのためを思って祈ること。

誰かを思う時、人は自然と頭が下がる。働く姿は、祈りの姿だ。少しかがんで、自分の手元に集中する姿。母の料理をする手元を見るのが好きだった。

「美味しく出来ますように、喜んでもらえますように」と母はよく祈りの言葉を口にしていた。真剣な、でも、どこか楽しそうな顔を浮かべて、母は仕事をする。

手際よく料理ができあがっていくさまは魔法のようで、私は息を呑んで見つめていた。そんなふうに、私は仕事をすることが出来ているだろうか。

誰かを頼り、誰かに頼られることこそ、生きるということ、労働するということだ。

逆に言えば、信頼や感謝を忘れてしまってお金を払うことをコストだと思い続ける限り、自分だけ儲けようとする限り、生産性という言葉からは逃れられないのではないか。

「金は天下の回りもの」なんて、そんなの嘘だと思っていた。だからたくさん欲しいけど、なるべく使いたくはない。

働くことをただ収入を得ることだと考えていたとき、苦しみばかりがあった。社会から落伍しないために「普通」になろうと努力して、なれない自分を責めてばかりいた。

けれど、信頼している人に感謝を込めてお金を使い、仕事をくれた人の信頼に応えようと働いてお金を得ると、確かに回っている実感があるのだ。

まとめ

社会が私を規定し、私はただ社会に求められるまま生きるだけ(さもなくば死)、なのではない。私を含めた私たちが社会を作っている。

私も社会の一員であるからこそ、今なら心から競争よりも共生の社会を望む。

もちろんこの資本主義、貨幣経済の世界の中で、お金を稼ぐということと向き合わざるを得ない。正直なところ、私の生活がうまくいっているとは言えない。いつも不安定で、まったく稼ぎのない月もある。

コロナによって世の中が自粛モードな今、イベントでの販売は難しく、どうしたものかと悩んでいる。けれども、もしも私が今、無一文になっても、明日食べるものに困っても、きっと助けてくれる人はいると確信している。

なぜなら、今私が暮らしている小さな町の中で、町の人達、私の活動を応援してくれている人たちとの信頼と感謝のこもったやり取りをしているからだ。その豊かさが私を生かしてくれている。

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ABOUT ME
1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。 ■詩集の購入はこちら