どうやったら仕事が手に入る?必要なのは答えの出ない事態に耐える力

夕焼けのひまわり畑

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。どうやったら仕事が手に入るか、それは学歴がない地方在住の重度身体障害者である私にとって長年悩んできたことだ。通勤やトイレに困難さを抱える中で、どうすれば在宅で無理なく安定した収入を得られるのか。たどり着いたのは「ネガティブ・ケイパビリティ」を養っておく必要性。

障害者が仕事を手に入れるのは難しい

どうやったら仕事が手に入るか、というのは、学歴がない地方在住の重度身体障害者である私にとって長年悩んできたことだ。

とはいえ、細々とした実家を頼るわけにはいかず(下手をすれば抜き差しならない共依存の関係に陥ってしまう)、18歳の時、押し出されるように社会に出て自立せざるを得なかった。

何度かハローワークでの就職活動に挑んだし、CG・webデザインの職業訓練にも通った。けれども、そもそも車いすで就職出来る職場がなかった。

障害者向けの就職説明会でも、車いすの人間の就職先はとにかく限られて、やりがいもあまり感じられず、私は就職活動自体に早いうちからめげてしまった。「出来ない」を社会から突きつけられ続けるのは辛い。

このコラムでも何度も書いてきたが、車いすの人間が就職する上でまず問題になるのが、通勤手段とトイレのことだ。体調面も自信がない。コロナ禍に陥ってしまった今でこそ在宅ワークの普及が進んだが、通勤を前提とした仕事のシステムはとにかく障害者にとって都合が悪い。

どうしたら在宅で無理なく安定した収入を得られるのか。

私の取っ掛かりは、新人賞への応募と、文芸作品の同人誌を自分で作って販売することからだった。

作家になりたい、というのを「夢」と語るには、私の場合、あまりにも動機が不純というか、私が出来ることで他にお金を稼ぐ方法が思いつかなかったというのが大きい。

職業訓練に通う最中に身体を壊し、入院先の病院のベッドで書いていた恋愛小説が新人賞の最終候補にまで残った。しかし、そう甘くはなく、その後は鳴かず飛ばずで、やはりここでも気持ちがめげてしまう。仕事がない、お金がない、という現実を背負って孤独と向き合う作業は、正直なところ、精神衛生上よくない。

分厚い闇に押し潰されそうで、不安でたまらず、焦り、自己破滅的な決断や行動を何度も繰り返してきた。

しばらく前に話題となった、帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ―答えの出ない事態に耐える力」を読んだ。

この本によると、ネガティブ・ケイパビリティとはイギリスの詩人ジョン・キーツが生み出した言葉で「容易に答えの出ない事態に耐える能力」つまり『どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力』『性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力』のことらしい。

わからないこと、特に未来についてわからないことは不安だ。そして、現状が不安定な状況であればあるほど、不安であることは、とても苦しい。

つい、すぐに答え合わせをしたくなる。これで良かったのだろうか、と悩み、冷静な状態なら取るはずもない軽はずみな行動に走ってしまうことも。あるいは、全てを投げ出したくなることもある。

不安は2種類に分けられる

夕焼けのひまわり畑
photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)

ところで、不安というものは二種類ある。

一つは対処可能な不安。二つ目はどうしようもなくただ漠然と感じる不安だ。

対処可能な不安とは、結果に対する不安であり、例えばテストやコンクール、試合の結果や、業績への不安のようなもので、これらは問題と向き合ったり努力したり、具体的な行動をとることで対処ができる。

どうしようもなくただ漠然と感じる不安は、それでもやはり未来の結果は出てみないとわからないことから、ただ感じるしかない不安のことだ。キーツのいうネガティブ・ケイパビリティは、特に後者の不安との向き合いについて言っているのではないかと思う。

このような不安感にどのように向き合っていくかが、仕事を手に入れるうえで重要であると私は思っている。

私が社会人になったばかりの頃、知り合った40代のキャリア女性から、「とにかくまずは10年は続けなさい」と言われた。

それは例えば会社に勤めるとかそういうことではなく、自分が人生をかけてやりたいことについてのことで、「才能がない」「環境に恵まれない」などということでめげてはダメだと叱咤激励された。

休み休みでも、どんな形でもいいから、結果を急がず、答えを求めず、長く続けることで見えてくるものがあり、道は勝手に拓けるのだ、と。

そう言われてもやはり、不安は拭えない。

この本には先行き不透明な今の時代を生きていくために「自分の中で解決のつかない課題に対して辛抱強く考える能力を持つこと、そして、他者や理解できないことに共感し、寛容になる心を持つこと」が重要とある。

要は、不安から逃げたり、無理にコントロールしようとするのではなく、不安であることを認めることだと思う。

きちんと受け止めてくれるような人に話すのもいいかもしれない。「これはただの愚痴です」「否定せずただ聞いてほしい」と前置きして話し始めると、共感を持って聞いてもらえる場合がある。

共感し合える関係を育んでいくことができれば、安全地帯を得られる。

不安を少しずつでも解きほぐしていくことができれば、「正しさ」や「答え」に執着せず、自分のやり方やこだわりに固執せずに柔軟になってくる。

揺るがず、しかし自由自在になれる。

私の場合、新人賞への応募というのは肌に合わなかったし、そういう通過儀礼的なことを避けてしまったことにどことなく後ろめたさを感じていたが、作家になるための手段はこれ一つではない。

自分で自分の本を作って手売りする、SNSで思ったことを発信するということをこつこつと続けていく中、テレビの仕事や原稿依頼などが少しずつではあるが舞い込んでくるようになった。

障害当事者として語るということでお金をもらう時、自身が障害者であることを「売りにする」ということにならないだろうかと、悩んだことがある。

けれども、私が障害者であることは単なる事実であるし、障害者として生きることが私に人とは違う経験をもたらしていること、その経験から私が感じ取り考えたことを得意である文章にしていることは、元々スポーツが得意でサッカー選手になったということとどのくらい違うだろうか。

私にとってよりよいものは、常に私の中にあるのだから、それを自ら封じ込める必要はないし、封じ込めてやっていけるほどの余裕もない。

キャリア女性から言われた通り、10年続けた結果、縁あって初めての自著が商業出版されることとなった。(ぜひ読んでください!!)

まとめ

何事も、動かなければ始まらない。一番いいのは多分、きちんと戦略を練ってから行動することだと思うが、とにかく、出来ることからまずやることだ。

もちろん殆どがうまくいかないことばかりだ。結果を見て一喜一憂するのは仕方がないとして、失敗をいかに血肉にしていくか、無駄にしないかに目を向ける。

信じて粘り、こつこつと積み上げていけば、たとえ他者からの評価は得られないとしても、自分の内側から自信がついてくる。

経験を積むことである程度の結果は出せるようになるし、自分の力量を把握することによって、どこまでが出来てどこからが出来ないのかが経験則でわかってきて、結果に対する不安は段々と薄れてくる。

そのうち、出来ないことでもやらざるを得ない状況(チャンスとも言い換えられるかもしれない)が訪れる。

その時にどのくらい粘れるか、持てる力を発揮することが出来るかが何よりも重要だと思う。そのためにはネガティブ・ケイパビリティを養っておく必要があるだろう。

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ABOUT ME
1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。 ■詩集の購入はこちら