モデルデビューを果たして考えた障害者とルッキズム

2匹の猫が道端でコミュニケーションを取っている様子

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。パラちゃんねるでの記事掲載がきっかけに、先日モデルデビューを果たした。「障害があってもおしゃれを楽しみたい/諦めたくない」という言葉が増えてきたように、障害者がファッションを楽しむまでに至るには超えねばならないハードルが多い。それはまた、ルッキズムの問題とも重なる部分があり…

モデルデビュー

先日、なんとモデルデビューを果たした。

というのも、パラちゃんねるカフェの記事に掲載するために友人のカメラマン・August氏にコツコツ撮ってもらっている私のポートレート写真をインスタグラムにもアップしているのだが(よかったら @mamen_325 をフォローしてください)、それを見てくださった株式会社コワードローブ代表の前田哲平さんから新しくオープンする事業「キヤスク」の宣伝のためイメージモデルの依頼があったのだ。

そもそもはあまり写真を撮られるのが得意ではないが、パラちゃんねるカフェの担当編集者の勧めもあり、「地方で自立して暮らす障害当事者」として発信していくには、実際に暮らしている街に車いすが溶け込んでいるようなビジュアルもあるといいのではないかと去年の春から撮影を始めた。

撮影場所や服装やメイク、ポージングに悩みながら(車いすでの身体表現って、案外難しい)、少しずつ慣れて楽しむ余裕も出てきていたところだった。

せっかく撮ってもらっているのだからと記事には使わなかった写真も含めインスタで公開していたが、まさか仕事につながることがあるなんて。人生何があるのかわからないものだ。

「キヤスク」とは、「服の着脱に不自由を抱える人が、既製服を着やすくするお直しを、手軽かつ気軽に依頼できるオンラインサービス」だ。

前田さんのフェイスブックの記事によれば、障害や病気を抱える人・怪我をしている人・入院している人・介護が必要な人などの多くが、デザインや色が好みで着てみたいと思う服があっても、着脱しにくいという理由で諦めたり、本当は着たいと思わない服を着脱しやすいという理由だけで我慢して着ざるを得ないというような、「服選びにおける選択肢の少なさ」に悩んでおり、この「服選びにおける選択肢の少なさ」を解消し、誰もが「着たい服」を着られる世の中を実現するための手段として考案し事業化したらしい(サービスは今年3月1日より開始予定)。

障害者がファッションを楽しむためのハードルは高い

豆塚さんとコワードローブ代表の前田さん

車いすになって10年以上になる。

さすがに毎日着る服のルーティーンが決まってきて、不自由なんて普段考えもしなくなる。しかし改めて服の不自由を聞かれて思いを巡らすと、スカートやワンピースばかり着て、パンツスタイルを敬遠していることに気がついた。

身体障害の特徴として、四肢麻痺によって車いすに座りっぱなし、排泄障害もあることから、パンツスタイルだと脱ぎ着が大変で、背中やお尻が出やすく、お尻にポケットや鋲などがあると褥瘡の原因になりやすい。

また、外出時はバルーンカテーテルといっておしっこを袋に貯める処置を行うので、それを違和感なく隠すのにふんわりしたスカートのほうが便利なのだ。

健常者の頃はボーイッシュな格好を好み、スカートよりも断然パンツ派で、特に細身のジーパンを履いていたが、生地が固くて履きにくいスキニージーンズは、いつの間にか無意識的に避け、最も縁遠い存在となっていた。

今回、撮影のためにスキニージーンズをお直ししていただき、それに合わせてカジュアルでボーイッシュなスタイルに挑戦した。

春っぽい淡いグリーンのシャツにスニーカーを履き、明るめに染めていた髪を黒く染め直し、ゆるくパーマを当てているのを真っ直ぐにブロー、可愛らしさを演出するために作っていた前髪をかきあげた。眉は自眉を生かしてきりっと意志のある感じに。肌にツヤ感を出してナチュラルなメイクに仕上げてもらった。

「自分の思う自分」にしっくりきて、普段いかに障害によって(私の場合、それはそれで楽しんではいるものの)自身の外見の好みに制限をかけていたかを思い知ることになった。

そもそも身体障害者には、身だしなみを整えることにすら不自由がある場合がある。女性の場合はさらにメイクを社会から求められることもあり、身だしなみのハードルが高い。それらはそのまま、社会参加できるかできないかにさえ直結する。

「障害があってもおしゃれを楽しみたい/諦めたくない」という言葉が身の回りに横行するように、障害者がファッションを楽しむまでに至るには超えねばならないハードルが多く、もっと言えば、おしゃれや美というものからはじめから「免除」されているような感じもして、それはそれで違和感を覚える。

まとめ

2匹の猫が道端でコミュニケーションを取っている様子

一方、世間はSNSの広がりからか、外見に対する規範が強化されつつあるように思う。

パーソナルカラー、骨格診断、ボディメイク、脱毛、プチ整形などなど、カワイイは作れるのだから作らないのは怠惰であると言わんばかりだ。

何もわざわざ息苦しいルッキズム(外見至上主義)に乗っかっていくこともないのは十分わかった上で、やはり障害者のこととなると「障害があっても」という一見ポジティブなようで、そのまま裏返せば「障害があるのに○○だ」という、障害があることにネガティブさを感じさせる言い方が悔しく、どんどん置いていかれてしまうような疎外感もある。

ありのままの見た目を愛そうというムーブメントである「ボディポジティブ」も、概ね賛同はするが、正直なところ、障害者の身体は、まだまだその地点にはたどり着けていないと感じてしまう。

私たちの身体はあまりにも社会から阻害されており、異質だ。実際、毎日着る服すらも満足な選択肢がないのだから。

私は指先に麻痺がありながらも、訓練と運の良さによって自分でメイクができるようになった。メイクやファッションは私にとって自尊心を高める自己実現のツールのひとつであり、健常者社会に馴染み、戦っていくための武装でもある。

武装が得られただけでも、障害者の中では特権的なのかもしれない。そしてその格差は障害者-健常者だけでなく、障害者間でも広がりつつあるのではないか。

「キヤスク」のようなサービスの広がりとともに、誰も取り残さず、障害者の社会参加、とりわけ就職が気安くなることを願う。

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ABOUT ME
1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。 ■詩集の購入はこちら