16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。先日放送されたNHK大分のドキュメンタリー番組にて、別府市の戦後女性史を巡ってきた。歴史の中から感じ取った「地域で共に暮らす共同体感覚」には、アドラー心理学にも通ずる「他者を敵ではなく仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられること」があった。
ドキュメンタリー番組で戦後女性史を学んだ
先日、出演したNHK大分のドキュメンタリー番組「フカイロ!『”傷み”を抱く街に生きて〜別府・戦後女性史〜』」が地元大分で放映された。
※NHKプラスでの見逃し配信で全国どこからでも視聴できます。
戦後の別府。混乱と不条理の中、力強く生きた女性たちがいた。夜の街で命をつなぐ女性、戦災孤児を守りぬいた女性…詩人・豆塚エリ(29)が知られざる歴史をたどる。
引用元:フカイロ!「”傷み”を抱く街に生きて〜別府・戦後女性史〜」
第二次世界大戦直後の混乱期、米軍キャンプが置かれた別府。戦争という不条理に翻弄され、悲しみを抱えながらも、たくましく生きた女性たちがいた。夜の街で命をつなぐ女性。戦災孤児たちを生涯かけて守り抜いた女性…彼女たちは、どう生きたのか。車いすの詩人、豆塚エリ(29)が、これまで語られることのなかった別府・戦後女性史をたどる。語りは、高校時代を別府で過ごしたリリー・フランキー。
戦後、別府は引揚者や復員兵、戦災で家や家族を失った人、在日朝鮮人など、住む場所や仕事を求める人々の避難所として役割を果たした。
夫婦で働いても食うや食わずの時代。単身の女性、夫を失ってまだ小さな子供を抱えた母親にとって、生きることは困難を極めた。駐留していた米軍のキャンプで給仕をしたり、米軍相手に体を売ったりして「いのちき(大分弁で何とか食いつなげられるだけの稼ぎを得るという意味)」した。
選べるほどの選択肢はなく、とにかく生きていくので精一杯だっただろう。
そんな混沌とした誰もが苦しい時代に、母子や戦災孤児を、身も心も砕いて支援しようとする人たちが別府に存在した。母子寮「別府厚生館」や、乳児院・児童養護施設「栄光園」だ。どちらも戦後間も無く作られ、今もまだ存在する。
また、パンパンと呼ばれた街娼たちのグループをつくり、手に職をつけて経済的な自立を目指そうとした「仲好グループ・リリー倶楽部」の存在などから、当事者同士でも支え合って生きようとしたことがわかる。
彼ら彼女らは、それぞれが社会を担う責務を感じ、互いに手を取りあってどうにか生きて行こうとしたのではないだろうか。
街の中心部の中央市場と呼ばれる区画には、引揚者たちによって戦後まもなく建てられた長屋が今もまだある。一階で商売・二階で寝起きをし、路地裏で炊事洗濯をするスタイルで、お風呂は共同温泉に入る。嫌でも他人の生活が目や耳に飛び込んでくる。何も好きで集まってきた人たちではない。流れ着き、どうにか暮らしていこうとしてきた人々の集まりだ。
今の感覚からすれば窮屈な部分も否めない気もするが、互いにどこのどういう人かがわかるために安心でき、生活に対して寛容で、助け合うのが当然だったそうだ。今はほとんど人が住んでいないものの、戦後そこで生まれたり、嫁いできたりした人がまだ暮らしていて、私自身、よくお世話になっている。
まとめ
アドラー心理学の概念に共同体感覚というものがある。
他者を敵ではなく仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられることを言い、幸福な対人関係のあり方を考えるもっとも重要な指標だそうだが、別府での暮らしの居心地の良さはまさにそこにあるのではないか、と思う。
上下関係でなく横につながっていき、お互いの商売にお金を使い合うことで感謝と信頼をやり取りする。自己の利益ばかりを追求するのではなく、仲間たちのために貢献しようとする。競争せず、排除せず、ただそこにいることを認める。
核家族化、新自由主義化した世の中に生まれた若い世代の私たちにとって、戦後の別府は幸福になるためのヒントがあるように思えてならない。