私は、今年の春にADHDとASDの発達障害の診断が下り、先日、障害者手帳2級の等級を受けました。たくさん困りごとはあるけれど、今回は私がよくやってしまう1人反省会について考えていきます。
ADHDとASDの診断を受けた私の現状
私は、今年の春にADHDとASDの発達障害の診断が降り、先日、障害者手帳は2級の等級を受けました。
診断を受けてから、やはり生きづらさや日々の困りごとは発達障害が起因となっていることが改めてわかったという感覚です。
しかし、「この困りごとって発達障害のせいなのか?それとも単純に自分自身の問題なのか?」と、まだまだわからないことがたくさんあります。
この際、私の困りごとや悩みごとを、いろんな側面から分析して向き合ってみようと思いました。
たくさん困りごとはあるけれど、今回は私がよくやってしまう「1人反省会」について考えていきます。
子供時代に感じた他人との違和感
「1人反省会」とは、自分の言動を振り返り、ネカティブな方に考え込んでしまうことを指します。
私は幼少期から1人であれこれ考える癖がありました。今思えば、子供にしては、いや子供じゃなくても思い詰めすぎでは、という場面がたくさんありました。
大人になってからの話ですが、とある病院の検査でも「思考をする脳の箇所がかなり活発」と言われたこともあるので、やはり先天的な何かがあるのかもしれません。
いつから1人反省会をしていたかは定かではありませんが、「小学生の頃から他人と遊んでも、疲れるので1人の方がいいな」と思っていたことは覚えています。
なぜなら「人と話していると、わけわかんない時間が多かったから」です。つまりコミュニケーションの欠落です。当時は「コミュニケーションができない=寡黙」だと思っていたので、自分はおしゃべりだからコミュニケーション能力はあると決めつけていました。
しかし、子供同士でも、喋りまくるコミュニケーション障害は見えない壁や違和感を作ります。
「なんで他の子は私ほど考え込まないんだろう?」と、子供ながらに気が合う子がいないと悩んでいました。
中学生や高校生になっても、「なんだか人と話すと変だな」という思いはより強くなっていきました。
「あれでよかったのかな」と毎日不安になる。誰と話しても笑い合ってても、疲れる。休日わざわざ学校外で遊んでも楽しくないと、毎日不思議な空間が続きます。
もちろん、仲間はずれにされることや揶揄われることもたくさんありました。
その頃はまだ、まさか自分が発達障害だとは一切思わず、「私の周りは変な人ばっかり!なぜ?」と感じていました。
同級生も先生も変な人ばかり。もはや訳がわからない宇宙人との出会いを謎解いているようでした。
当時の私にとって、そんなモヤモヤと向き合うのが「1人反省会」という時間だったのかもしれません。ストレスを反芻するだけの無駄な時間だと思っていたけど、当時の自分にとってはフラストレーションを抑える必要な過程だった気もします。
発達障害の自覚後に増えた1人反省会の時間
年月が過ぎ、自分が発達障害だとわかり「おかしいのは自分じゃん」と気づいてからも、一人反省会をする機会・時間は倍増しました。そう、ここ最近1人反省会をしまくっています。
1人反省会の時間が倍増してしまったのは、発達障害のせいだということは自分の中で確信を持っています。
なぜかというと、発達障害だという自覚が出てから「あの発言、まずかったわ。ASD特有の正論を忖度なしに言っちゃうやつだわ」や「あの発言、俯瞰で見ると意味不明だったわ。ADHD特有の話ポンポン飛びすぎのやつをやってしまったわ」なんて分析ができてしまうから。
発達障害について勉強したり、時間をかけて吸収した定型発達との違いという概念がわかったぶん、会話の中での違和感への解像度が高くなり、1人反省会の内容が一気に充実したのです。しなくていいのに。
「あそこで聞かれてもないのにめちゃくちゃ自分の話をしてしまったかも」「あれって社交辞令だったのかも」「相手がちょっと目を見開いたのってなんだったの」と、どんどん後悔や新たな不安感も出てきます。
また、その癖は他人にも向けられます。子供っぽい所作や気の使えない行動をしている人に、厳しい見方をするようにもなってしまいました。「自分も全くできていないのに何をやってるんだ」と思いますが、つい気になってしまいます。
「発達障害じゃない人はもうちょっと気を使えるはず。何、あの態度?」「気を使わないってことは私のことを攻撃してるのか?」と、思い込みでイライラするところは危険だなと思います。
また他人の行動に対して「え?」と思ってしまうと、表情に現れて他人にしっかりバレてしまうのでアウトとなります。
そして「ゆめみがちさんってズバっと発言するよね(汗)」とも言われ「今日は何も言うまいと我慢していたのに!?いつの間に失言を…?」とびっくりすることも。
結局は私自身のやらかしのせいで、また今日も1人反省会が止まらないな…とげんなりします。
1人反省会が持つポジティブな側面
しかし、「そもそも1人反省会って悪いことなのか?」とも考えます。
芸人さんやタレントのエピソードトークって、1人反省会から出来上がっているものも多い気がするんです。
ラジオを聞いていると、失敗もうまくいかなかったことも面白おかしく話してリスナーを笑わせている場面によく出会います。
そう考えると、私も面白いか面白くないかはさておいて、やらかしエピソードは持ってます。
仕事のミスだって毎日何かしらやらかしているし、「定番の誤字・誤算・誤送・失言・失礼態度・もなんでも経験ありです!」という感じです。泣きそう。
仕事の場面ではよろしくなくても、このやらかしがエピソードトークで誰かをクスリと笑わせることができるのなら、いくらでも外に発信していきたいです。
だから正直、自分はそんな失敗も振り返ることのできる1人反省会自体は嫌いではないとも気づきました。
昔はふわふわした違和感と戦う1人反省会から、現在は最新の精密分析ができるグレードアップしたこの1人反省会にも少し愛着が湧いています。
そう考えると、発達障害が原因となり1人反省会をする機会はどうしても多くなってしまうけど、「自分自身が分析好きでついつい1人反省会をやっているんだな」と気づきました。
1人反省会自体は悪いことではない
1人反省会自体は発達障害者のあるある特性だし、発達障害者は1人反省会をせざるを得ないハードな場面に出くわすことが多いのだと思います。
そして、たとえ発達障害ではなくても、自分を責めてしまいやすい心境と環境が噛み合ってしまえば、誰だって1人反省会をやってしまうでしょう。
その反省会は、やりようによっては別のものに昇華するかはどうにかできるかもしれない、1人反省会自体は悪いことでも何でもないのかもという結論です。
しかし、何時間もグルグル考えて、過度に自分を責めそうになることもあるので、そこだけはやらないように気をつけようと常に心がけるしかないのかなと思いました。
そもそも反省と責めることは別。どんなに失敗したって自分を責めても、何も良いことはありません。というか、他人を責めることも良くないのです。
「責めることと反省は別」そう胸に刻んでいこうと思いました。