私は、大学2年の夏頃に統合失調症になりました。
それでも、多くの方の支えのおかげで、なんとか4年で卒業することができました。
そのワケを簡単に振り返りたいと思います。
ちなみに、大学を4年で卒業できたのは事実ですが、すぐに就活なんてできるはずもなく…。卒業後は科目等履修生という制度を使って教員免許の資格を取る勉強をしながら、2年間大学へ通っていました。
退学届を教務課まで出しに行った
大学2年の夏に統合失調症になり、まともな精神状態ではない中、それでも、その年の秋には大学へ講義を受けに行っていました。
しかし、頭の中は不安や焦りでいっぱい。しかも、統合失調症の陰性症状も相まって、講義の内容が頭に全く入ってきませんでした。
「この状態であと2年も大学に通うなんて無理だ」
復学して間も無くそう思い、教務課へ退学届をもらいに行きました。もうこの辺の記憶は、やや曖昧ですが、退学届の必要事項を記載し、すぐに提出。
「保護者のハンコがないと受理できません」
そのようなことを言われた記憶があります。その後、親に退学の意思を伝えてハンコを押してもらおうとするも、拒否。当たり前ですね。
というワケで、大学へ通うことを余儀なくされました。
「4年で大学卒業しろ」という母からのお達し
とはいえ、講義内容が本当に頭に入らないのです。そんな中、母から提示された条件がありました。
「留年せずに大学は4年で卒業しなさい」
「この状態でどうやって留年できずにいられようか…」頭の中が混沌とした覚えがあります。しかし、母もそういった手前か、全力でサポートをしてくれました。さらに、父もほぼ毎日、大学まで車で送り迎えをしてくれました。
しかしながら、大学というものは、保護者が全力サポートをしてくれたところで、どうともなりません。講義の単位を出すかどうかは、教授が決めるからです(実際のところの、大学の詳しいシステムは分かりませんが)。
お願いとお詫びとお礼の手紙を書く毎日
そういうワケで、私は毎日教授室へ足を運び「自分が今このような状態で、できる限り頑張るので、万が一の時は配慮してほしい」旨を伝えに行きました。もちろんこのようなお願いは教授も慣れているので、門前払いのケースも珍しくありませんでした。
ただ当時は、もう恥じらいとかを気にしている場合ではなく、回転の鈍い頭に「4年で卒業しなさい」という母からのお達しだけがこびりついていました。なんとか自分にできること(挨拶回り)をこなすことに必死だったのです。
とはいえ、大学には教授室のある先生だけがいらっしゃるわけではありません。非常勤の講師の先生には、大学を通してお願いとお詫び、更にお礼の手紙を何通も書きました。大学在学中に書いた手紙の数を数えたことはありませんが、3、40通は軽く超えていると思います。
このような、非常に迷惑な努力の結果、落とした単位も数えたらキリがありませんが、なんとか4年で卒業ができました。(冒頭の通り、卒業はしても大学に2年残ることになるのですが)
大学を出る時に挨拶に行くと言われた言葉
大学卒業し、更に大学に2年残って教員免許を取れた際に、お世話になった教授にお礼のご挨拶に行きました。大学を出ると同時に結婚も決まっていたので、そのご報告も兼ねたご挨拶でした。
「わざわざ律儀にありがとう。まあ、それにしても君、有名だったからね〜」と、にこやかに言う教授の言葉に、ようやく自分を少し客観視できたような気がします。
「そういえば、この教授室全部、挨拶のために足運んだな…」とか、
「あの時風呂入ってない時期だったな…」とか、
「その上、タバコも吸ってたな…」だとかを思い出しました。
どの範囲で有名だったかは知りません。思い出せるのは、大学を卒業する直前の時期、ちょっと仲の良い同級生に気を遣われながら「タバコも吸ってるし、ヤバい奴って噂になってたよ〜」と言われたこともあります。卒業も決まっていたし、ようやく少し身軽になったので、気にも止めていませんでした。
しかしながら、今になって思うのは「とてもいろんな人に迷惑かけながら、大学に通っていたのだなあ」と言うことです。
タバコを吸っていたのだって、喫煙所とはいえ、どこかで誰かに煙がかかっていたかもしれない。
教授だって、講師の先生だって、多忙な合間をぬって、私の話を聞いてくれたり、手紙を読んでくださっていたのです。
両親も、仕事の合間をぬって、私のサポートを全力でしてくれました。そう思うと、今でもお詫びの念や感謝の念が止むことは、決してありません。本当にありがとうございました。
おわりに〜多くの人に支えられて卒業できたことに感謝〜
少し長くなりましたが、まとめに入りたいと思います。大学を4年で卒業という、なんとも身勝手な目標のために、多くの先生方とよくお話しする機会がありましたが、今でも付き合いのある先生がいます。
その先生との出会いは、もちろん「お願い」のために授業の終わりに、ご挨拶にいった時のことでした。当時のことを今でもその先生とお話しする機会があるのですが「あの時のあなたは何て失礼な学生だと思った」と何度も言われます。夫と先生のご自宅へお邪魔した時も、夫にも話していました。
その先生との出会いは、私の一方的な都合で大変失礼なものだったのですが、なぜか今でもお付き合いが続いています。不思議なものです。そして時々、手作りのお菓子とともに一筆箋を送ってくださいます。
当時は大学が嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、その手作りのお菓子と先生のあたたかな心がこもった一筆箋を見ると「ああ、大学時代もそう悪くなかったな」なんて思えるのです(先生方には多大なるご迷惑をおかけしたのですが…)。
私は統合失調症になって、恥を背負いながら生きてきました。しかし、人生恥をかいてからがスタートなこともあるものですね。結果として、多くの人の支えのおかげで大学は4年で卒業できました。そして、その後もこんな私と付き合いを続けてくださる方が、少ないながらもいます。そんな人生も決して悪いものではありません。
これからも、家族はもちろん、支えてくださる周囲の人たちへの感謝の気持ちを忘れずに、私のこの人生を不器用なりに生きていきたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。