統合失調症を抱えながらの不妊治療…心が折れかけた時の対処法

青い空に浮かぶ白い雲。

私は統合失調症・てんかん・甲状腺機能低下症を持ちながら、不妊治療を通して子供を授かりました。現在は、毎日大変ながらも楽しく、育児や仕事や家事に追われる日々です。

不妊治療から出産までの経緯は、以前のコラムに書かせていただきました。是非ご覧ください。

統合失調症を持ちながら子を望むこと~1

統合失調症を持ちながら子を望むこと~2

統合失調症などの持病がありながら不妊治療をすることは、健康な人よりも一つや二つ、心配の種を抱えることになるかもしれません。実際に私もそうでした。

今回は、統合失調症などの持病を抱えながら不妊治療で、心が不安定になった時・折れかけた時の対処法をお話ししたいと思います。

妊娠判定日までの過ごし方

私たち夫婦は不妊治療の必要性が生じた時、すぐに体外受精へステップアップしました。タイミング法は少し試したものの、人工授精に至っては全くチャレンジしていません。それほど、我々の妊孕力等の数値は良くないものでした。

特に体外受精では、血液検査で妊娠判定が実施されることが多いかと思います。私は、凍結胚5つ中3つ目で妊娠をすることができ、今に至ります。ですので、2回妊娠判定陰性を経験しています。

個人的な感覚の話になりますが、妊娠判定陰性時と陽性時とでは、それまでの過ごし方にかなり違いがありました。以下からお話ししたいと思います。

妊娠判定が陰性だった時|毎日妊娠検査薬を使っていた

妊娠判定が陰性だった時、それまでの過ごし方は今思えば、毎日ストレスを抱えるものでした。慣れない体外受精の治療。そして、凍結胚(受精卵)を子宮に人工的に戻す作業。それらを経ながら、加えて妊娠判定日まで1ヶ月弱ほど待たねばなりません。

妊娠判定日までは、ほぼ毎日自分で妊娠検査薬を購入し検査をしていました。最初の凍結胚では、妊娠検査薬が全く反応しませんでした。そして迎えた妊娠判定日で「全く着床した形跡すらない数値です」と伝えられた時「そらそうだろうな」とやけに冷静ですらありました。その結果、新たな子宮内膜の治療も始まったのですが、またどこかでお話しできたらいいなと思います。

2つ目の凍結胚でも、毎日自分で妊娠検査薬で調べていました。その時はうっすらと妊娠検査薬が反応したものの、日に日に反応が薄くなっていく状況。この時は、つらくて絶望したことを覚えています。結果、血液検査の妊娠判定でも最終的に陰性となりました。

この時に夫と話し合い「次の凍結胚では妊娠検査薬は使わないでおこう」と決めました。夫から見ても、妊娠検査薬を毎日毎日睨め付けているような状況は、やはり好ましくないと感じていたようです。

妊娠判定が陽性だった時|ほぼ毎日友人に会っていた

3つ目の凍結胚の時には、少しずつ治療に慣れてきたのと、ちょうど胚を子宮に戻した時期が長期休暇と重なる時でした。妊娠検査薬を使いたい気持ちはもちろんありました。けれども、ストレスを溜め込んでしまってもよくないと思っていたので、旅行に行ったり、友達と会ったり、実家に帰ったり、楽しく慌ただしく過ごしていた記憶があります。とにかく妊娠検査薬を使わないように心がけていました。私の場合は、妊娠検査薬での検査が返ってストレスと理解していたからでしょう。

それが功を奏したのかは分かりませんが、3つ目の凍結胚で子どもを授かることができました。ただ、個人的には、この時は比較的穏やかに妊娠判定日を迎えて、ストレスも限りなくゼロに近かったと思います。

青空に輝く太陽。

不妊治療がつらい時の対処法

不妊治療がつらい時、私はとにかく趣味の時間に費やしました。不妊治療は、生理開始日によって治療のスケジュールが立つことが多いかと思います。そのため、決まった時間に決まった場所に働きに行くこともできませんでした。なので、私は「今しかこの自由な時間はないかもしれない」と前向きに捉えるように心がけました。

具体的には、イラストや漫画を制作したり、WEBサイトを制作したり、LIVE配信だってしていました。在宅のライターの仕事も始め、旅行にもたくさん行き、友達にも会って、特別養子縁組のことも具体的に話を聞きに行きました。

その時間も無駄ではなくて、結局今ではWEB系の会社に勤めています。この時に、サイト制作したりコードを触ったり、イラストに費やした時間も無駄ではなかったと、今になって思います。

それでもどうしようもない時は、夫婦喧嘩もしましたが、基本的に私は、趣味の時間で自分が救われていたように思います。とにかくやってみたい新しいことをなんでもしました。今思い返しても、とても有意義な時間でした。つらい時は、あえて別の世界に逃げるのも一つですよね。

青い空の下、緑の丘に立つ数本の木。

つらい現実ばかり見る必要はない

つらい時につらい言葉ばかり見ていても、私はつらくなる一方でしたので、とにかく新しいことに挑戦していました。現実逃避とも言うかもしれませんが、意外にその現実逃避が、近い将来、現実になることもあるかもしれません。私はあの時期は、自分の可能性を広げる種まきの時期だったのだと、今では思っています。そして不妊治療はつらくとも、趣味に没頭している時間だけは、楽しくてキラキラしていて充実したものでした。

私はリアリストというよりもロマンチストな人間です。夢を描いては、とにかくずっとその夢を追いかけている、夢追い人なんです。このような性格も悪くないかもしれませんね。つらい時も夢を描き続けることができる自分の性分は、いいところだと自負しています。

こんな人間もいますから、つらい時は自分にたっぷり時間をかけてあげてくださいね。病気を持ちながらの不妊治療は、本当につらく苦しいものでした。でも、その時期にたくさん種をまき、今ようやく芽が出てきた状態かもしれません。私はこの芽を大切に育てていきたいと思っています。

どうかご参考になれば幸いです。

参考文献

高橋敬一(2017)『赤ちゃんを待つあなたへ 専門医が答える不妊治療Q&A』幻冬社メディアコンサルティング

浅田義政・河合蘭(2023)『不妊治療を考えたら読む本〈最新版〉科学でわかる「妊娠への近道」』講談社

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ABOUT ME
京都女子大学文学部卒業後に教員免許を取得し、教育保育関連を経てwebライターへ。小学生の頃よりてんかん、大学在学中に統合失調症、甲状腺機能低下症を発症。「普通に生きることが難しい」と感じた経験から、様々な病気と共存しつつも平凡に生きることを目標にしている。