【複雑性PTSD】心の在り方と生き方が変わった!自分でかけた「呪い」が解けた日

頭を抱えている女性

頭の中で自分を責める声がする日常や人の目が気になりすぎて苦しくなる生活は、一生変わらないのかもしれない。

複雑性PTSDと診断された後、そう思いながらもカウンセリングを続けていると、心に思いもよらなかった変化が…。

私は自分でかけた「呪い」の正体にようやく気づけ、息ができるようになった。

心の状態が早くよくなって欲しいと願った半年間

複雑性PTSDの治療期間が長くなるにつれ、私は焦燥感に駆られるようになった。カウンセラーからは年単位での治療が必要だと告げられていたが、「この苦しみから早く解放されたい」という願望や「本当に心の状態はよくなるのだろうか」と不安が、ずっと消えなかった。

私が受けていた治療は、自分の中にいる「傷ついたあの頃の私(インナーチャイルド)」を癒すというもの。思い出したくない過去と向き合わなければならず、カウンセリング時は毎回、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。

「こんなことしても無駄だよ」という突然、聞こえる頭の中の声に抗いながら体を引きずり、なんとか治療を受けたことも何度かある。カウンセラーは「峠を過ぎたら少し楽になる」と励ましてくれたが、当時の私はどういう変化が起きたら峠だといえるのか教えてほしいとだけ思っていた。

友達への電話相談で心が楽になる気付きを得た

ノートパソコンの前でスマートフォンを使う女性

そんなある日、自分にとって重大な事件が起きた。ひょんなことから、信頼していたパートナーの知らない一面に気づいてしまい、大きなショックを受けたのだ。

私にとってパートナーは、今まで出会った中で1番誠実で信用できると思えた人だった。だからこそ、知らない顔があったことに驚き、悲しさも感じた。

その問題は今後、一緒に暮らしていく上で見過ごせないものであり、容易に受け入れられるものでもなかった。どうしたらいいか悩み始めると、頭の中で様々な声がするようになった。

パートナーがしていることは一般的に見て正しいのか、間違っているのか。世間が正しいというなら、私もなんとか受け入れられそうな気がする。そう思い、ネットで似たような状況の人を探し、どんな反応が寄せられているのか調べた。自分がどう思うかよりも、他者の目にどう見えるか、世間一般からはどう思われる行動なのかが気になった。

頭の中には偽物のカウンセラーも生まれ、世間が正しいと思う答えや一般的に正しいと思われる結論に誘導しようとしてきた。何日も眠れず、ご飯が喉を通らない生活の中、私は久しぶりにリストカットをした。生きている意味がないと思えた。

ただ、自分のどこかに「これではダメだ」と思う私はいてくれた。あの頃とは違い、今の私には辛いと言える場所があるのだと気づき、通院しているメンタルクリニックに「助けてほしい」と連絡をした。

カウンセラーはほどなくして返信をしてくれたが、患者が来たのか一時的に返事が途絶えた。ひとりぼっちの時間が耐えられず、私は友達に「今、電話してもいい?」と弱音をこぼした。自分から誰かに頼るのは私にとっては珍しく、とても勇気がいる行動だった。

友達はすぐに連絡を返してくれ、「頼ってくれて嬉しい」と言ってくれた。何時間も話を聞き、一緒に解決策を考えてもくれた。

友達と話す中で、私は問題の受け止め方が自分と友達では全く違ったことや、友達が提案してくれた解決策のどれもが自分では考えつかなかったことなどに心打たれ、「ああ、この世には人の数だけ正解があるんだ」と初めて思えた。

その発見は自分にとって、とても大きいものだった。私は、いつもどんなことでも白黒はっきりさせないといけないと思ってきた。けれど、自分ひとりで導き出した答えには自信が持てず、母親に「これでいいかな?」と尋ねて賛同してもらえたら、「正解だ」と思えていた。

ささいなことでも、誰かに正解かどうかを尋ねないと、怖くて不安でたまらなかった。しかし、友達との会話を通して、この世には100%正解なものも100%間違いなこともないのだと気づけ、自分の価値観がグラついた。

ネットの知恵袋や世間のものさしを重視しない正解の出し方があることや、誰かにとっての正解は誰かにとっては間違いに思えることもあるのだという、当たり前の事実に今更ながら気づけたことで、「私がいいと思えば、それでいい」と思えるようになった。

自分が思う「正解」を大事にすればいいと分かった

胸に両手を当てた女性

私は幼少期から、両親が求める「正解」に応えてきた。「それは違う」と口では反抗してみても、両親が「正しい」と言えば、なんだか自分が悪くて間違っているような気がした。

おそらく、そうした生活の積み重ねから、自分が思った正解に自信を持つことができなくなり、ひとりで何かを選ぶのが怖くなったのだと思う。

でも、きっともっとシンプルな生き方でよかったのだ。SNSやネットの情報や親の意見、友達の反応、彼氏の気持ち、周りの目など、そういう他者ではなく、自分の感情を最優先にして色々なことを決めてよかった。

この世は、誰かにとっては正しくて正常であっても、誰かにとっては間違いで異常なものばかりだ。そんな曖昧な世界だから、正解探しをしても一生、自他ともに100%満足できる答えは出ない。

誰かの気持ちを優先した正解探しに疲れ果てるよりも、私は自分の心を守りながら寝て、起きて、食べて、笑って、生きてさえいれば、きっとそれでよかったのだ。そんなシンプルなことに気づくのに何十年も心をいじくりまわして、壊して、削って、泣いたのだなと思うと、自分がたまらなく愛しくなった。

そして、同時に人は対等なんだなと、心で分かった感覚があった。父の理想通りに動けず怒られた時や家族に顔の出来をからかわれたりするたび、自分を責めてきたけれど、それは相手が自分にとっての「正しい」を当てはめようとしてきただけに過ぎなかったのだと思えた。

誰かを酷評するのは、その人の問題。それが自分にとっての「正しい」ではなかったら、傷つかなくていいし、私は私が思う「正しい」と「間違い」を大事にしていけばいい――。そう分かったことで、私は自分でかけた「呪い」から解放された。

これを機に相手が望む言葉ではなく、自分が伝えたいことを少しずつ口にできるようになった私はその後、パートナーと話し合うこともできた。必死に意見や感情を押し殺してきた自分が誰かに怒り、泣き、ありのままの心でぶつかる姿に私自身、驚いた。

知らないうちに自分で課した呪縛は、気づくことが難しいから厄介だ。どんな思考が自分にとっての呪いになっているかは人それぞれ違うからこそ、心休まらない日々を過ごしている人は専門家の力を借りながら、「ありのままの自分を許せる私」を見つけてほしい。

アピールしたい職歴・スキルだけで応募できる!
ABOUT ME
猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。