合理的配慮ってなに? という疑問を持っているあなたへ

車椅子の女性とオフィスでディスカッションするビジネスマン。

皆さん、こんにちは! 長年にわたり、ゆるーく転職活動を続けている全盲の冴えない元会社員、愛美テミスです。
今回のテーマは、最近よく耳にする『合理的配慮』です。

実は、誰にとっても大切な法律

2024年4月、改正障害者差別解消法が施行されました。そこで出てきたキーワードが『合理的配慮』です。

今回の改正により、民間事業者も合理的配慮を提供する法的義務を負うことになりましたが、ほとんどの方が、合理的配慮ってなに? と思っているのではないでしょうか。そして知らない、わからないが故に“障害者って怖い人…”なんてことになっているかもしれないし、ちょっと勘違いしている当事者もいるかもしれません。

でもそれではもったいない。意外かもしれませんが障害者差別解消法は、実は高齢化がさらに進む社会においては、誰にとっても大切な法律なんです。ぜひ一緒に考えてみましょう。

車椅子の車輪に手をかけている人のクローズアップ。

障害者差別解消法とは

障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)は、2016年に施行された理念法です。したがって罰則はありません。

誰が守るべき法律かというと、国・地方公共団体と民間事業者です。(個人個人ではありません)

目的は、すべての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を目指すということ。つまり、障害があってもなくても、誰もが分けへだてられることなく、互いの人格と個性を尊重しながら、暮らし、勉強し、働いたりできるように差別を解消し、安心して暮らせる豊かな共生社会の実現をしましょう! という法律です。

そんな障害者差別解消法には、3本の柱があります。

①障害を理由とする差別的取扱いの禁止(法的義務)…障害者を不当に厄介者扱いしないで! ということ。

②環境整備=事前的改善措置(努力義務)…誰もが利用しやすい環境があらかじめ整備されていれば、合理的配慮を求められることはありません。

③合理的配慮の提供=不提供の禁止(2024年4月からすべて法的義務)…建設的対話をして、環境整備が不十分なところを補うための対応。現場の工夫。

合理的配慮の提供とは

改正障害者差別解消法では3つの柱のうちの一つ、合理的配慮の提供が義務化になりました。その合理的配慮とは一体何なのか、こんな感じです。

お互いに、ちょっとだけ気配りと気遣いをしよう。ただそれだけです。

まず私たち障害者は、障害故にやりづらさ、困難、負担感があることを示して、だから「助けて」と伝えます。

たとえばかなり前のことですが、実際にこんなことがありました。調剤薬局でのことです。

私は2種類の点眼薬が処方されたのですが、まさかまさか、容器の形が全く同じ。見えない私には見分けることができません。仕方ないので「どちらも同じ形なので、見えない私には区別ができません。どちらか一方の目薬には、シールでもセロテープでも何でもいいので、触ってわかる目印を付けていただけませんか?」と、お願いしました。

すると薬剤師さん、「確かにわからないですよね。ちょっと待っていてください。……これでどうですか?」と、容器に輪ゴムを巻いて、それを私が触って識別できるかどうか確認してくれたのでした。これで解決です。

ここで重要なことは建設的対話、個別対応、現場の工夫です。だから「マニュアルにありません」はNGです。もちろん、すぐに対応できないことはあるでしょう。そんなときは、できない理由を含め、しっかり対話をして妥協点を見つける。それが建設的対話であり、合理的配慮の提供です。

異なる薬のボトルと袋に入った薬のクローズアップ。

まとめ

さて、この目薬ですが、1年ぐらい前に容器のデザインが改善され、輪ゴムに頼らなくても見分けられるようになりました。一方の容器のフタには、ポッチが付いたのです。実はこれが二つ目の柱、環境整備です。

似たような合理的配慮が重なれば、環境整備をしたほうがラクですよね。その結果、誰にとっても使いやすくなります。つまり、バリアがなくなります。

一つ一つの対話、合理的配慮は小さなことかもしれませんが、塵も積もれば山となる! 社会全体のバリアフリーの底上げにつながります。

対話を重ねて互いを理解する。するとその先に、誰もが暮らしやすい共生社会が見えてくる。それが、合理的配慮の提供義務化の真の目的なのです。

そして、それは誰のため? みんなのためです。

私は、この合理的配慮の提供義務化を機に、すべての人の相互理解が進むことを願わずにはいられません。

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ABOUT ME
産業カウンセラー/JPA認定カウンセラー。 1973年生まれ、中途失明の冴えない会社員。 視力がだんだん失われていった10代から30代にかけて感じた恐怖と、社会からの疎外感を忘れることができない。誰もが優しくつながる社会を理想に掲げ、現在ライフワークとしてブラインドのためのITサポートやピアカウンセラーとして活動をしている。さらに、晴眼者のITサポーター養成にも取り組んでいる。