第5回:仲良い友達と職場へのカミングアウト
前回、NPO法人バブリングとの出会いによって、オープンリーゲイとして、生きていってもいいかもしれない、という価値観に変わったというお話をさせていただきました。
今回は、LGBTsだけでなく、この世の中で、さまざまな「目に見えない生きづらさ」を抱えている人たちの力になりたい。そんな思いから、身近な人たち全員へカミングアウトした時をお話したいと思います。
職場へのカミングアウト
私は現在、ファイナンシャルプランナーの仕事をしており、さまざまな人たちのお金の相談に乗っています。人生相談に乗る事も多く、さまざまな身の上話を聞く機会も多かったのです。
そうしたことから、職場の人たちにも自分と同じく、LGBTsの人たちについて知って欲しい。そんな思いから、職場の人たちが集まる朝礼の機会に、LGBTsについてのお話をさせていただくことになりました。
「LGBTsは、どういったカテゴリーがあるのか、ということ」
「割合としては、左利きの人たちと同じ割合くらいいると言われていること」
そして、「皆さんの周りにいますか?」という問いかけとともに、実は僕がゲイ当事者です。とカミングアウトしました。
職場の人たちは、表面上は特に驚くこともなく、ただただ受け止めてくれた感じで、朝礼が終わった後に、何人かの人たちには、「自分のお客さまにも当事者の人がいるから、よかったら相談に乗って欲しい」ということも言ってもらいました。
当事者の人たちの中には、友だちには言えても、職場にはバレたくない、という思いの人が多いと思います。
私の場合は、チームとして動く、ということはあまりなく、どちらかといえば、一人でお客さまに接する仕事ゆえに、その場でカミングアウトしても、あまり仕事がやりづらくなる、といったことがないかな、という思いがありました。
案の定、その後の仕事において、差し支えがあるようなことがないのは、自分は恵まれた環境にいるな、と思っています。
職場の次は、友人たちへのカミングアウト
その時期に会う、仲がいい友人たちに、どんどんカミングアウトしていきました。当時は32歳。結婚という話題が多く飛び交う場も多く、そんな時に、自分はゲイ当事者である、と伝えていったのです。
個々の反応は様々で、「やっぱりそうなんだ」という声(笑)
「お前とより距離が縮まった気がする」とか、「なんか隠している気がしたけど、その謎が解けた」など、反応はポジティブなものばかりでした。
前からずっと仲がいいと思っていたけど、これで隠し事は何1つなくなる、と思うと、自分自身も、より友人たちと接することが楽になった気がします。
そうして、一人一人に伝えていきましたが、ある時、今までのつながりがある人、全員に伝えたい。そして、その人たちの周りにいる人たちが、少しでも生きやすくなって欲しい。そんな思いから、Facebookに投稿することを決意しました。
その時の文章の一部が以下の通りです。
【目に見えない生きにくさを抱えている人たちが、心の底から笑いあえる瞬間を作りたい】
それは時には、自分の生い立ちのことであったり、
時には、過去の経験であったり、
時には、病気や現在進行形のある事情であったり、、、「大多数」ではない、「普通」じゃない、「常識」じゃない
そんな枠組みから外れたことは、
そっと自分の胸の内におさめていなければならないことである。目に見えない生きにくさを抱えている人たち
そんな人たちにとって、僕は味方でありたいと思いました。
僕がカミングアウトすることで、
「自分は1人じゃないんだ。事情は違えども、同じように、生きにくさを抱えながらも、心から笑い合える瞬間があることを信じて、生きている人がいるんだ。」
そう思ってもらえるならば、僕がありのままの自分を打ち明けることにも、多少の意味があるんじゃないかと思ったのです。
僕が大好きな2016年のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の、アラフィフの独身女性の百合ちゃんの台詞にこんな言葉があります。
「与えられた価値に押しつぶされそうな女性たちが自由になる。自由だからこその美しさ。例えば私みたいなアラフィフ独身女だって社会には必要で、誰かに勇気を与えることができる。
あの人が頑張ってるなら、自分ももう少しやれるって。今ひとりでいる子や、ひとりで生きるのが怖いっていう若い女の子達が、
『ほらあの人がいるじゃない。結構楽しそうよ』
って思えたら少しは安心できるでしょ。
だからわたしはかっこよく生きなきゃって思うのよ。」
僕自身も、本質的には、こんな風に生きたいと思ったのです。
だから、僕はこれからの人生で、目に見えない生きにくさを抱えている人たちに寄り添っていきたいと思いました。
そして同時に、「声なき声」を伝えていく代弁者になりたいと思いました。
この世には、様々な先入観や偏見があります。
僕がそうだったように、知らないがゆえに、不用意に誰かを傷つけてるかもしれないのです。
その多くは、「知らない」というところから発生するものです。
だからこそ、第1歩である「知る機会」を作っていきたいと思っています。あなたは、1人じゃない。
僕がそうだったように、きっと心の底から笑い合える瞬間があるから。
大切な誰かと、お互いに自分らしく過ごしてけるような未来を願っています。
Facebook投稿のその後
Facebook投稿は、Facebookがつながってる人たちだけでなく、どなたでも見ることができるし、シェアすることができる公開モードで投稿をしました。
反響はすごいものでした。多くの方にシェアいただき、コメントも温かなコメントばかりをいただくことができました。
中には、個別メッセージで、自分自身もLGBTsの当事者とカミングアウトしてきてくれた人もいました。
また、事情は違えども、自分自身も人には言いづらいことを抱えている、と打ち明けてくれる人がいました。やはり自分自身の仮説は当たっていて、カミングアウト(=打ち明ける)ことには、多かれ少なかれ、相手に対しての影響があるのだと思います。
もちろん、いい影響にならないこともあるかと思います。ですので、決して、カミングアウトを推奨しているわけではありません。
ただ、カミングアウトは、相手に対して、もっとより関係性を築いていきたいという意思表示の1つだと思っています。
もし、カミングアウトを受けることがあるとすれば、色んな事情があるとは思いますが、わざわざ伝えたいと思ってもらえた、ということは、それはその人から大切に思われているという表れなのかもしれません。
こうして私自身、多くの人たちへのカミングアウトをしてきたのですが、最終的に、1番の難関と感じていたのは、家族です。
次回は、家族に対して、どうカミングアウトをしていったのかをお話したいと思います。