はじめに
これまで、重度障害者の僕の結婚や子育て、日常生活にスポットをあててコラムにさせていただきました。
今回は左半身まひと、高次脳機能障害を抱えた僕はどうやって社会復帰を進めてきたのかについてです。
障害者雇用枠で就職し、時間をかけて会社に受け入れてもらい、馴染んでいく中で、自分がどのようなことに気づき、戸惑い、それによってどのように会社に対応を求めたのか。また、現在どのような配慮をしてもらいながら日々業務をこなしているのかについて、分かりやすく書いていければと思います。
現在、働かれている方や今後障害者雇用を目指されている方の参考になれば幸いです。
これまでの経験
これまで僕は3社で障害者雇用枠で働いた経験がありますが、どの企業でも働き始めたばかりの頃に似たようなことが起きました。「業務のマッチング」がうまくできていない、ということです。きっと、障害者として雇われると起こりやすいことなのだと思います。
求人票やサイトを見れば、仕事内容や条件などはある程度、掲載されています。障害者雇用の場合、就業時間などだけではなく、残業の有無や、どういった配慮をしてもらえるかについて書かれている場合もあります。
しかし、どれだけ念入りにサイトを読みこんだり、面接で質問をしたりしても、いざ入社してみると「話が違うじゃないか」と思うようなことが起きてしまいます。
僕の場合、障害者雇用で採用してもらえた会社で、仕事を始めてみると想像していた以上に出来ない仕事が多く、上司から「こんな簡単なことも出来なかったの?」と言われて自信を無くし、傷ついた経験があります。
僕の場合、高次脳機能障害への理解がなかなか進みませんでした。症状が人によって様々で、どのような対応が必要かも人によってちがうからです。また、障害そのものの認知度の低さもあるでしょう。
ある会社では、入社後に簡単な電話応対を求められましたが、それは僕にとって難しいことでした。高次脳機能障害の影響で2つ以上のことを同時にこなすことが難しい上に、短期記憶障害があるので少し前のことを忘れてしまうのです。電話をとり、保留ボタンを押した後、誰から誰にかかってきた電話なのかわからなくなってしまうこともあるのです。
そういったことが重なった結果、その会社からは雇用契約を更新できないと告げられました。おそらく、企業側は面接の質問に対してスラスラ答えられる僕を見て、電話応対が全然できないとは思いもよらなかったのかもしれません。
僕はとても悔しい思いもしましたが、頭を切り替えて「自分のダメなところが見つかってよかった」と考えるようにしました。
雇用してもらう上で大切なこと
このような経験を通じて、僕は障害者として雇用してもらう上で大切なことは「自分の出来ることと出来ないことを明確にして、包み隠さずに面接時には伝えること」だと考えるようになりました。その後の僕は面接ではいろいろ言いました。図々しいくらいに、色々と。
「電話応対はできません。」
「薬のせいで急に体調が悪くなることがあります。」
「同僚の名前が覚えられません。」
「通院が急に決まることがあります。」
「100点が取れません。」
「僕のやった業務には必ず2次チェックが必要です。」
「どの仕事から取りかかればいいのかの優先順位を自分で決められません」
中には、人事の人が聞くと「少し難しいかなー」と思われてしまいそうな内容もありますが、隠さず伝えるようにしました。
「すべてをオープンにした上で自分にできる仕事を当てがってもらうしかない」と思っているからです。
現在、僕が働いている会社ではこのような障害の症状のことを少しずつオープンにして、上司や同僚の理解を得ながら、自分にできる作業の切り出しを行ってもらいました。5年以上かけて、それらをかき集めたものが今の僕の仕事です。
それでも、僕は健常者社員の1日の仕事量の半分もこなせていないだろうと感じています。重度障害者の雇用は難しく、現実は甘くはないのだと思います。
現在の働き方
今の会社でもすべてが順調だったわけではありません。高次脳機能障害の影響で自分の喜怒哀楽がうまく抑えられず、会社の個人面談で上司と喧嘩をしたことだってあります。
苦い思い出ではありますが、当時は「自分にはこの仕事しかない。家族がいるんだから辞めることなんてできない。」という強い思いから言い合いになってしまったんだろうと思っています。
そんな僕でも、入社して数年がたち、上司や同僚が障害を受容してくれると少しずつ状況が変わってきました。たとえば、以前なら「この作業は山田さんには無理だろう」で終わらせられていた内容も「このやり方に変えればできるんじゃないか」と周りが考えてくれるようになってきたんです。
振り返ってみると、いくつもの荒波を周りの助けもありながらなんとか乗り越えてきました。現在、僕は在宅勤務をしています。最初から在宅勤務だったわけではありませんが、結果的にとても助かっています。
通勤時のけがなどの危険がなくなり、通勤にかかっていた2時間を自由に使えるようになりました。その時間があるおかげで、仕事の勉強や家事にもあてることができていますし、小学1年の子供が帰宅したときに家で出迎えることができるようになりました。
「重度障害者が働き続けることは難しい」ということは事実かもしれませんが、こんな僕でも周りの理解と協力のもとで継続して働くことができています。
これからも「重度障害があるけれど、がんばって社会に出たい」という方が活躍できる社会であってほしいし、僕もその一員を目指してがんばります。