難病になって変わったことは、悪いことだけではありませんでした〜難病「全身性エリテマトーデス」とわたし

白い通路で黒い日傘を差して座っている少女

わたしがこの病気になったのは、17歳の夏の終わりのことでした。

夏休み後半から身体のだるさが続き、次第に筋肉痛や関節痛が酷くなって、とうとう歩くのも困難になり、病院を受診しました。

長時間にわたる検査や診察・入院の結果、わたしは難病である「全身性エリテマトーデス」という診断を受けました。

病気による生活の大きな変化

それから生活は一変しました。

疲労を避けること。
紫外線を避けること。
毎日大量の薬を飲み続けること。

それらの事項は、わたしの今までの行動を著しく制限するものでした。

入院していたため、楽しみにしていた文化祭に参加することができませんでした。体育の授業は、激しくないもの以外は全て見学でした。

紫外線を避けるため、体育祭や外でのレクリエーションは保健室でじっと時間がすぎるのを待っていました。日傘が邪魔になるから、友達を歩くときは一歩引いて友達の背を眺めていました。

集合写真にわたしが写っていないことはもう慣れてしまいました。「日傘が邪魔だ」と罵られることも、子供から好奇の目で見られることにも慣れました。

人目を盗んで、薬を服用する術も身につきました。

最初はみんなと同じことができなくて、今までと同じ暮らしができなくて、ずっとずっと苛立っていました。

なんでわたしが。
そう思い、何度も何度も泣いて、自分を呪い続けました。

そして、ふつうの人を演じ続けました。

病気の悪化による不安と絶望

青い光の中で黒い靴を履いた足元

社会人として働きはじめたある日、風邪をひいたような感覚が数日続き、来る日も来る日も高熱が治まらなくなってしまいました。

さまざまな検査を行った結果、病気が悪化しているとのことでした。

ステロイドをマックスの量で服用し、治療を続けた結果。これまでにないほどの筋力の低下を味わいました。

そして、取れることのない痛みとめまい。

わたしは、生きていけるのだろうか。病気は、どんどん悪化していくのではないだろうか。

目の前が真っ暗になり、わたしは悟りました。
「ふつうに生きていくのは、もう無理なんだ」と。

ふつうの人と同じように、病気だということを忘れて、ろくに休養を取らずに動き続けた結果、わたしはもう一つの病気を発症しました。

線維筋痛症。
治療法が確立されておらず、難病指定もされていない病気です。

原因は不明ですが、ストレスや疲労が関係しているらしいとのことから、わたしには「疲労」と「ストレス」がどんどん蓄積されていたようでした。

そこで、わたしはとある先生にこう言われます。
「もう頑張らなくていいんだよ」

わたしは、どうやら頑張りすぎたようでした。

病気が教えてくれた大切な学び

白い通路で黒い日傘を差して後ろ向きに立っている少女

その日から、わたしは頑張ることを辞めました。
ふつうの人を演じることを辞めました。

そして、できなくなったことではなく、わたしにできることに目を向けるようになりました。

わたしは文章を書くことが好きだから、おうちで文章を書くことを仕事にしよう。館内でも遊べるところはたくさんあるから、そこに遊びに行こう。

そうすると、自然と世界は広がりました。

いつの間にか、あんなに憎かった病気も気にならなくなりました。

今でも病気のせいでできないことはたくさんあるし、困ることだってたくさんあります。

ですが、昔ほどは憎んでいません。病気は、わたしに学びを与えてくれました。

病気じゃなかったら、1日1日を大切に過ごす意味に気づかなかったかもしれません。

病気じゃなかったら、他人をいたわる気持ちが育まれなかったかもしれません。

病気じゃなかったら、自分の身体を大切にすることや、自分の内なる声に耳を傾けることをしなかったかもしれません。

わたしにとってこの病気たちは、お付き合いをちょっと考えなくてはいけない友人のような…「悪いやつではないんだけど、でもちょっとなぁ〜」という感じの隣人だと思っています。

うまく付き合っていけば、案外悪さはしてきません。

いちばんいけないのは、病気に飲み込まれてしまうこと。

自分をしっかり持ち続けることで、病気に負けない自分でいられると思っています。

いつか、治療法が確立されて、完治する病気になると信じて。

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ABOUT ME
1998年生まれ。17歳の時に全身性エリテマトーデスを発症、22歳の時に線維筋痛症を併発した。高校卒業後は広告代理店でライターとして勤務し、その後フリーのライターとして独立。 趣味はゲームをすること。noteではコラム未満の病気の話やエッセイなどを執筆している。