社長です。日本に5000人程の難病になりました

はじめまして、もーこと申します。都内でWeb制作会社を経営しています。そんな中、タイトルにもある通り日本に5000人弱しか患者数がいない難病になりました。今回は、自己紹介も兼ねて私が成人スティル病と診断されるまでのお話をさせてもらいます。

自己紹介

はじめまして、もーこと申します。

都内でWeb制作会社を経営しています。役職は社長ですが、デザイナーとしてホームページのデザインを作ったり、ディレクターとしてスケジュールの進行管理をしたり、営業としてお客様との打合せをしたり色々な役割を担っています。

そんな中、タイトルにもある通り日本に5000人弱しか患者数がいない難病になりました。病名は成人スティル病(成人スチル病)で、膠原病(こうげんびょう)のうちのひとつです。

おそらく病名を聞いたことのない方がほとんどかと思います。もちろん、私自身もそうでした。今回は、自己紹介も兼ねて私が成人スティル病と診断されるまでのお話をさせていただきます。

ソファに座りながらクリップボードに書き込む女性。

初期症状

ちょうど1年半ほど前でしょうか。季節は秋から冬に変わろうとしている11月末。この頃、私は膝のあたりに筋肉痛のような痛みを感じていました。

日によって痛む場所や程度が変わり、気にならないくらい弱まるときもあったのであまり深く考えることもなく、「最近、ちょっと疲れが溜まっているのかな」と思っていました。今思えば、それは成人スティル病の初期症状だったのかもしれません。

それから何日かして今度はじんましんのような赤い発疹が太ももや腕の内側にぽつぽつと出てきましたが、痛くも痒くもなかったので引き続き様子を見ていました。

ところが、数日経つと発疹の範囲が広がっていき、色も濃くなってきたので慌てて皮膚科を受診しました。

その翌日に39度の熱が出ました。新型コロナ真っ只中の時期でもあり、PCR検査を受けましたが陰性。お医者さんは風邪だろうという見立てで解熱剤をもらいましたが、数日経っても熱が下がらないままでした。

不思議だったのは、朝は36度台で、昼頃に体温が上がったかと思ったら夕方にかけて下がり、夜にはまた38〜39度台に上がるといったように、1日の中で何度か体温が上下していることでした。

実はこれは弛張熱(しちょうねつ)という形で成人スティル病の大きな特徴だったのですが、このときは気づけるはずもなく、熱が上がったり下がったりする状態についていけずに戸惑っていました。

ただ、熱が下がっている時は、デスクに向かってメールを送ったり、デザインなどの仕事はできていました。

健康日記に記された体温や症状のメモ。
体調を記録していた当時のメモ

膠原病科に辿り着き、病名が確定

それから、2週間ほど経っても症状は変わらず。熱が上がったり下がったりする日が続き、いよいよ「普通の病気ではないのかも」と不安になってきました。

この頃は熱だけでなく、膝の腫れもひどくなってきて、立ち上がったり階段を昇るのが辛くなっていました。歩いて移動するのが困難になってしまったこともあり、このときはかなりしんどかったです。

内科や皮膚科を受診していましたが、どこに行っても病名や原因はわからず。解熱剤を処方してもらっても、一時的に良くなるだけで根本的な治療ができない状況にもどかしさを感じていました。

ネットで症状を検索したり、家族も情報を集めてくれた結果、膝の痛みがあったことで「膠原病の可能性が高いのではないか」となり、膠原病科に辿り着きました。

そこで初めて「成人スティル病疑い」となり、2週間ほど入院して様々な検査を行った結果、成人スティル病と診断されました。

病名が確定したときに感じたことは「病名がついたことでやっと治療ができる」という安心感でした。難病になったことに対する不安よりも、長く続いたモヤモヤが晴れた安堵感の方が強かったです。この時点で最初に熱が出た日から1ヶ月以上が経っていました。

薬と体温計がテーブルに置かれている。

難病とは

当時、複数の病院を巡ってもなかなか診断がつかなかった体験は、のちに自分から情報収集をして病気を知ろうとする行動や、自分の病気の体験を発信していくことでひとつの例として皆さんに知ってもらいたいという考えにも繋がりました。

一度、難病とは何かを整理してみると、「難病」とは、2015年1月施行の「難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)」により定義されています。

  • 発病の原因がわからないこと
  • 治療方法が確立していないこと
  • 病気にかかることで長期療養が必要となること

※ただし、がんや精神疾患、感染症、アレルギー疾患等、個別の施策体系があるものは含まれていません。

難病は発病の原因が分からないことも定義のひとつとなっています。

病気になったことで、周りからは「働き過ぎていたのでは?」や「仕事のストレスが良くなかったのではないか」と言われるようになりました。

私自身も、色々なことをやり過ぎていたのかな、今までの仕事の仕方がよくなかったのかもしれない、と思い悩んでしまいました。

でも、原因が分からないことをこれだと断定することはできません。単純に「仕事のせい」と決めつけてしまうことも違うと思いました。

それに今までの働き方も自分の選んだ道であり、今までやってきたことを間違っていたと否定するようなことはしたくありませんでした。

病気になったことは変えられない。なった原因もよくわからない。それなら、あれが悪かった、こうすれば良かったと考えるよりも今後はこの病気を理解しながら上手く付き合っていくことを考えようと思いました。

難病は治療に長い時間がかかり、治療の過程で再燃(完全には治らず再度症状が悪くなること)も多くあります。成人スティル病も例外ではなく、再燃が多い病気と言われています。つまり、病気とは長い付き合いになるということでした。

室内の緑の観葉植物。

難病を抱えて働くこと

私は会社を経営していて社員もいる状態です。この先の人生を考えた時に、今の状態を続けたい、働き続けたいという気持ちは変わりませんでした。

でも、病気を抱えている以上、働くことや日常生活を送る上でのリスクはどうしても出てきます。
特に大きなリスクは下記の2つと考えました。

  • 何かのきっかけによる症状再発や再燃のリスク
  • 治療薬による副作用が出てくるリスク

この2つのリスクがあるということは、「今までできていたことが今まで通りにできなくなる」ということでもありました。

日常生活で注意しなければならないことも多くあります。今までと考え方を変えていかなければならない、働き方を見つめ直して、自分自身が働き続けられる状態をどのように作っていくかのチャレンジだと思いました。

— もちろん身体を最優先に。

そのために、「まずは何ができるかを考えていきたい」と思ったのでした。

アピールしたい職歴・スキルだけで応募できる!
ABOUT ME
1982年生まれ。Webデザイン会社を経営。2021年、手足の発疹と39度の高熱が数週間続き、指定難病である成人スティル病と診断される。その後ステロイド服用による治療をしながら仕事復帰。 病気になったことで、ハンデがあっても働くことの選択肢を増やしたい。病気とつき合いながらも自由な働き方を選んでいきたいと強く想い活動を開始する。