わたし自身、アスペルガー症候群といった発達障害をもってこれまで生きてきて、そして今も発達障害をお持ちの方を中心に対話をさせて頂いている中で、「ただ、生きること」が本当に大変なのだな、と深く実感する日々を送っています。
とはいっても、会社にいたときに周りにいた「フツウ」の人たちが、みなさん幸せそうに生きていたかというと、全くそんなことはなくて。
世の中の生きづらさに関する統計
さて、ここにとある統計があります。
2019年、ビッグローブ株式会社が、男女1,000人にアンケートを取り、「現代の世の中は生きやすいか」という調査を行いました。
結果は下の図の通りです。
特筆すべきなのは、20代の8割が「やや/生きやすくない」と回答していることです。そして50代がその次に高い割合になっています。
全体でも7割の人が、現在の世の中を「生きやすくない」と感じているようです。
あなたはこの結果を見て、どう感じるでしょうか?
「まぁそんなもんだよね」
「そりゃそうだ」
そう感じる方は一定数いらっしゃるかと思いますが、冷静に考えると、世の中の7割の人が「世の中生きづらい、大変だ」と感じていることって、恐ろしいことではないでしょうか?
幸せになるための選択
人はこれまで何百万年にもわたって便利さとか幸せを求めていろんなコトやモノを開発して、今となっては命が脅かされるような生活をしている人はほとんどいないはずです。それだけでも昔よりはるかに「生きやすい」世界のはずなのに、今の日本では7割が生きづらい、と答えているんです。
先ほどのアンケート結果に対して「そんなもんだ」と感じたとしたら、あなたの感覚は「不幸なのが当たり前」という考え方を持っているのではないでしょうか。
でも、そもそもすべての人は幸せになるために毎日たくさんの選択をしています。たとえ選択の瞬間は「イヤだなぁ」と感じているとしても、例えば誰かに怒られないためとか、自分の将来のためとか、どこかしらにあなた自身の「快楽を得る」もしくは「苦痛を避ける」という目的があるはずです。
それにもかかわらず、私たちの多くは生きづらさを抱えてしまっています。
発達障害と生きづらさ
冒頭にも述べましたが、わたしは発達障害(ASD、ADHD)を抱えています。診断が下りたのは2021年に入ってからですが、物心ついてから「生きづらい」と感じていたように思い返します。
たとえばASD(自閉症スペクトラム)の場合、
- 人の考えていることが分からない
- 冗談が理解できず、他人に振り回されてしまう
- 人の話が理解できず、人と協力することが難しい
- ものごとに没頭しすぎて体力を使い果たしやすい
といった症状で困ってしまうことが多いです。
もちろんADHDも発達障害の一つですから、人と比べて「できない」と感じるコトは多くあります。
このように障害特性上どうしても「できない」ことがあると、健常者からは「この人は能力が低い」というラベリングをされてしまいます。
自己肯定感の低さ
多くの発達障害の方は、幼少期から親や学校のコミュニティなどで人と交流する中で、人と同じことができない=自分はダメなヤツだ、という思い込みに陥ってしまいがちです。自分に強みがあることなんてましてや信じることが出来ません。
人と話せばくすくす笑われる。場合によってはいじめにも遭います。
何かを頼まれても、うまく読み取れずに相手の期待に添えず叱られたり。
「やりきった!」たとえそう思っても、あとからいくらでもミスが見つかってしまう。
「フツウ」ではない自分自身と周りを比べられ、つねに「フツウでないといけない」というプレッシャーに押しつぶされそうになります。目に見えない障害ですから、「フツウでいられないのは本人の努力不足」という評価も受けがちです。もちろん、そもそも「フツウ」であることが過大評価されているという一面もありますが・・・。
日常の悩みと自己肯定感
こうして、他人に怯えて自信を失うことが日常になるので、人から怒られたり叱られたり疎外されることにも次第に慣れてきます。そして、「自分には価値がない」という思い込みを日に日に強めていきます。
いわゆる「自己肯定感が低い」という状態になります。だからこそわたしを含めて発達障害者の多くは
- 価値がない自分を取り繕うために必死に努力する。無理もする
- 自分を信じられないから行動や挑戦を必要以上にためらってしまう
- 他人に認められるために人の顔色をうかがう
- 自分のやりたいことを抑えつけ、次第に自分の感情や本音が分からなくなっていく
- いつも見下される不安におびえ、メンタルが乱れてしまう
- 人と関わることをそもそも避けてしまう
といった悩みを持っていることが多いです。
健常者でも感じる生きづらさ
ですが、このような悩みは、発達障害を持つ人だけのものではないはずです。
たとえ健常者であっても、なんとなく自分に自信がなくて、それを何とかするために人に認められるために必要以上に頑張ってしまう。自分のコトが信じられずに、新たな挑戦や行動をすることをどうしても踏みとどまってしまう。とか。
日本人だから、なのかもしれませんが、謙虚でいることが喜ばれますし、人前で自分の子供のことをほめることは避けられることが多いです。それが日本人の美徳であるという一面もありますが、それが必要以上に「自分なんかダメだ」という思い込みにつながり、人に認められるための必要以上の努力、自分の能力の制限、自身の将来への不安、自己肯定感の低下、そして「生きづらい」という感覚につながっていっているのではないでしょうか?
結論:生きづらさを受け入れる
発達障害だろうが健常者だろうが、総じて自己肯定感が下がりやすく、「生きづらい」という気持ちを抱きやすい私たちですが、わたしはこの文章をとおして「自己肯定感を上げましょう!イェイ!」と言いたいわけではありません。
今のわたしも、苦労はしていないまでも自己肯定感が高いか、というと常にそういうわけではないかと思います。
確かに、自己肯定感が上がれば人間関係も良くなりますし、自分を信じることができ、毎日をより明るく生きていくことができるのは間違いありません。わたし自身や、わたしのクライアントさんの変化を見ていてもそれは確かに言えることです。
ですが、自己肯定感が低いとか生きづらいとか、そういった感情を抱くことが悪いのではありません。私たちがこれまで行ってきた選択の積み重ねの結果が、たまたま今のこの生きづらいという現在地にある、というだけのことです。あくまでも結果論、だと思っています。
全ての選択や行動に間違いはありません。少なくとも、今のあなたが生きてこの文章を読んでいる、という時点であなたが前向きに行動をしていることに間違いはないのだから。さらに言えば、いまのあなたの「生きづらい」という状況さえも、見方によってはそうではなくなってしまうかもしれないのです。
私たちはしばしば、選択したり行動することよりも、選択や行動やその結果に対する良し悪しを判断することにばかりエネルギーを使ってしまいがちです。「生きづらい」とあなた自身の人生を悪いものだと判断していることも、もしかしたらそうかもしれません。
でも、そうではなくてあなた自身の行動に、そしてあなた自身が本当はどうしたら幸せになるのか、そういったことを逃げずに、他人や社会の期待に振り回されることなく選択できるとしたら・・・。
未来のあなたは、今と違った場所に必ずいるはずですよ。